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水戸地方裁判所 平成元年(行ウ)17号 判決

茨城県取手市戸頭一一八三番地

原告

荒木順一郎

右訴訟代理人弁護士

原周成

西田研志

大森浩一

茨城県龍ケ崎市市川原代一一八二-五

被告

龍ケ崎税務署長 篠田昌美

右指定代理人

貝阿彌誠

比佐和枝

志村勉

佐藤謙一

川田武

小田寛三

鈴木隆久

小林勝彦

宮澤文雄

仲村勝彰

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は、原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告が、原告に対し、いずれも昭和五九年三月二日付でした、昭和五五年分所得税の更正及び同年分所得税の過少申告加算税賦課決定(いずれも審査裁決により一部取り消された後のもの)、昭和五六年分所得税の更正及び同年分所得税の過少申告加算税賦課決定(いずれも審査裁決により一部取り消された後のもの)、昭和五七年分所得税の更正、同年分所得税の過少申告加算税及び重加算税各賦課決定(いずれも審査裁決により一部取り消された後のもの)をいずれも取り消す。

第二事案の概要

本件は、被告が、原告に対して行った昭和五五年分ないし同五七年分の所得税の更正、過少申告加算税賦課決定及び同五七年分の重加算税賦課決定の各処分につき、処分の基礎となった事業所得金額及び土地売買の認定に事実誤認があり、違法であるとして右各処分の取消を求めた事案である。

一  争いのない主な事実

1  原告は、金融業を営むものである。

2  原告が、被告に対し、昭和五五年分ないし同五七年分(以下「本件各係争年分」という。)の各事業所得金額、土地の譲渡等にかかる雑所得の金額及び分離短期譲渡所得の金額について、別表1-1ないし3の確定申告欄記載のとおり確定申告したところ、被告は、昭和五九年三月二日、原告に対し、同各別表の更正及び加算税の賦課決定欄記載のとおりの各更正処分(以下「本件各更正処分」という。)、過少申告加算税及び重加算税の各賦課決定処分(以下「本件各賦課決定処分」という。)をした。

3  原告が、昭和五九年五月二日、被告に対し、異議申立てをしたところ、被告は、同年七月三一日、本件各係争年分のいずれについても棄却する旨の決定をした。そこで、原告が、同年八月三一日、関東信越国税不服審判所長に対し、審査請求をしたところ、同所長は、平成元年六月九日、同各別表裁決欄記載のとおり、本件各係争年分のいずれについても、一部取消す旨の裁決をし、右裁決は、同年七月四日原告に対して送達された。

二  本件各係争年分の税額算定に関する当事者の主張

(被告の主張)

1 昭和五五年分について

(一) 昭和五五年分の事業所得の金額、分離課税の譲渡所得金額及び分離課税の雑所得金額は、次のとおりであり、その細目は別表2-1「昭和五五年分の事業所得金額等(被告の主張)」記載のとおりである。

事業所得金額 五四万七九一三円

うち 収入金額 九四七万一五八一円

必要経費額 八九二万三六六八円

分離課税の譲渡所得金額 一五三八万四七八九円

分離課税の雑所得金額 六七五万円

(二) 右(一)の必要経費のうち、貸倒金は、回収不能と認められる松下豊久に対する貸付金一九五万円、寺田益枝に対する貸付金五五万及び吉沼正展に対する貸付金三〇万円の合計額である。

2 昭和五六年分について

(一) 昭和五六年分の事業所得の金額及び分離課税の譲渡所得金額は、次のとおりであり、その細目は別表2-2「昭和五六年分の事業所得金額等(被告の主張)」のとおりである。

事業所得金額 三七三万五七〇一円

うち 収入金額 一三二七万九七八〇円

必要経費額 九五四万四〇七九円

分離課税の譲渡所得金額 四八一七万六〇〇一円

(二) 右(一)の必要経費のうち、貸倒金は、回収不能と認められる星野光司に対する貸付金一三八万円及び伊藤章に対する貸付金八〇万円の合計額である。

3 昭和五七年分について

(一) 昭和五七年分の事業所得の金額及び分離課税の譲渡所得金額は、次のとおりであり、その細目は別表2-3「昭和五七年分の事業所得金額等(被告の主張)」のとおりである。

事業所得金額 二九一〇万七九九〇円

うち 収入金額 三六二八万〇七二六円

必要経費額 七一七万二七三六円

分離課税の譲渡所得金額 二三九一万四六二九円

(二) 同別表1(3)記載の雑収入額が原告に帰属したと認定した根拠は、次のとおりである。

原告は、昭和五七年当時、岡田満(以下「満」という。)に対し、約一八〇〇万円の貸金等の債権(以下「本件債権」という。)を有していた。満の父親である岡田友春(以下「友春」という。)は、満の債務の保証人となっていたところ、本件債権の返済のために、自己所有の土地を柴沼治雄所有の茨城県土浦市大字虫掛字東三四七二番の土地(田一〇六六平方メートル、以下「本件土地」という。)と交換した上、これを売却して本件債権を返済することとし、原告に対し、右売却等に関する一切の事務を委任した。右委任契約においては、原告が売買代金から本件債権の返済を受け、また売却に伴う諸費用(仲介手数料、税金等)を控除した残額の取扱いを原告に一切委ねるという約定がなされていた。友春は、昭和五七年一一月二日、原告の関与のもと、昭和緑地株式会社(以下「昭和緑地」という。)の仲介により、本件土地を株式会社中常(以下「中常」という。)に代金三八六四万円で売却した。中常は、同日、手付金として右代金のうち七〇〇万円を、同年一二月一〇日、残金三一六四万円を支払った。

ところで、右売買契約に関し、友春が日興建設株式会社(以下「日興建設」という。)に対して本件土地を代金二九〇七万円で売却した旨の同年一〇月一五日付売買契約書(以下「一〇月一五日付契約書」という。)及び日興建設が中常に対して代金三八六四万円で売却した旨の同年一一月二日付売買契約書(以下「一一月二日付契約書」という。)がそれぞれ作成されている。しかし、右売買契約の当事者は、売主が友春、買主が中常であり、日興建設は原告が形式的に関与させたものにすぎないのであって、いかなる意味においても、右売買代金が日興建設に帰属すべき理由はない。

しかるに、原告は、友春から売却事務の一切を委ねられていたことを奇貨として、あたかも日興建設が売買の中間当事者になったかのように仮装し、また実際に支払った以上の費用を支払ったものと仮装することにより、右売買代金の中から、一五五八万四一二九円を謝礼金等として取得したものである(原告は、これとは別に、本件債権の弁済として一九一七万二七九一円を取得した。)。

4 本件各係争年分における利息収入額について

(一) 本件各係争年分における利息収入額の推計

本件各係争年分における原告の利息収入額については、原告から収支計算を明らかにする帳簿書類の提示がなかったため、推計によらざるを得なかった。

右推計に当たっては、次のとおりの方法によったものであり、いずれも合理性を有する。

(1) 別表3の順号1ないし18及び32については、原告保存の貸付メモ、借用証書等に記載されていた利息金額及び同書類に記載されていた貸付金額、約定利率から推計計算をした。

(2) 同別表順号19ないし31については、右(1)と同様の書類に記載された貸付金額から推計計算をした。ただし、未収利息については、利息制限法の最高利率を超えているため、約定利率によらず、利息制限法一条一項の最高利率により計算した。

(3) 同別表順号33ないし42については、原告の貸付先及び取引銀行の調査により把握した金額である。

(4) 右(1)ないし(3)を通じて、別段の約定のない返済期限経過後の遅延損害金は、利息制限法一条一項の最高利率と同率により計算した。

(二) 利息収入の算定方法

所得税法二七条二項は、「事業所得の金額は、その年中の事業所得に係る総収入金額から必要経費を控除した金額とする。」と規定し、同法三六条一項は、別段の定めがある場合を除き、総収入金額は、「その年において収入すべき金額」とすると規定する。金融業において、一般に金銭消費貸借に基づく利息、遅延損害金債権は、その履行期が到来すれば、弁済がなされなくても総収入金額に算入される。右債権につき、貸倒れ等の損失があったとしても、その損失は、損失の生じた日の属する年分の必要経費に算入されるにすぎない。

原告は、争いのある利息収入額(同別表順号15ないし18、20、21、23ないし25、29ないし32)につき、貸付金の存在及び額については認めるものの、利息額が被告主張額より少ないか、まったくない、債務者が現在行方不明であり、利息、元金ともに返済されていない、又は債務を免除、放棄した等主張して利息収入額を争っている。しかし、右主張は、いずれも被告主張の利息債権につき、同債権の弁済がなく、存続していること又は同債権が消滅したことを主張するにすぎず、各利息債権が発生し、その弁済期が到来していることに変りはない。また、貸倒れの主張については、後記5のとおり、いずれも理由がないが、仮に貸倒れが認められるとしても、貸倒れが認められる当該年の必要経費に算入するのはともかく、それ以前については、未収であっても、利益収入として算定すべきである。いずれにしても、原告の主張は、失当である。

(三) 本件各係争年分における利息収入額の算定根拠

本件各係争年分における利息収入額は、別表3合計欄記載のとおりであり、原告が争う部分についての計算根拠等は、次のとおり補足する外、同別表の付表1-1ないし6、同付表2のとおりである。

(1) 日興建設及び山名孝二(同別表順号15及び16)について

両名についての昭和五七年分の利息収入が四六万円であることは、原告も認めるところである。

昭和五七年三月三〇日付四〇〇万円の借入れについて、右借入れの際に原告に差し入れられた手形は、日興建設と山名の共同振出であったのであるから、右四〇〇万円の債務は、両者の合同債務であり、同年四月三〇日付一〇〇万円及び同年五月一一日付三〇万円の貸付先は、山名孝二(以下「山名」という。)個人である。

(2) 渡辺明清(同別表順号17)について

借用証書により、約定利率を月一パーセントとして計算した。渡辺明清(以下「渡辺」という。)については、原告に対し、その債務を担保するため、所有不動産に抵当権を設定していたものであり、昭和五九年に右不動産について競売が行われるまで、毎月利息が発生していたというべきである。

(3) 柿沼邦男(同別表順号18)について

柿沼邦男(以下「柿沼」という。)に対する貸付日である昭和五五年六月一〇日から同年中の利息収入は未収である。同人に対する利息の約定は、月四分であり、右利率は、利息制限法所定の最高利率を超えるため、同法所定の最高利率年一五パーセントの割合により計算すると、同年中の利息収入は、一五万八三八三円となる。

昭和五六年には、元金及び利息合計として毎月一〇万円ずつが支払われ、元金に三七万二六四六円、利息に八二万七三五四円が充当された。右利息充当分のうち、昭和五五年分の未収利息一五万八三八三円を控除すると、同五六年分の利息収入は、六六万八九七一円となる。

同五七年には、元本一五〇万七三五四円が残っていたところ(一八八万-三七万二六四六円)、同年中に元金及び利息合計として毎月一〇万円ずつ(一二月は六〇万円)、合計一七〇万円が支払われ、これにより弁済が終了した。したがって、同年分の利息収入は、一九万二六四六円(一七〇万円-一五〇万七三五四円)となる。

(4) 伊藤勝明、今井進一、小羽進(同別表順号20、21及び24)について

借用証書による約定利率が利息制限法の最高利率を超えているため、約定利率によらず、同法一条一項の所定の年一八パーセントの割合により計算した。

(5) 小沼隆三(同別表順号23)について

借用証書により、約定利率を年一五パーセントとして計算した。なお、右借用証書には、弁済期が昭和五六年四月七日以内とされているので、貸付日から利息収入は計上すべきである。

(6) 杉本勝之(同別表順号25)について

借用証書による約定利率が利息制限法の最高利率を超えているため、返済期限昭和五七年一月三〇日までは、前記(3)と同様一八パーセントの割合により、その後は、遅延損害金として右同率の一八パーセントの割合により計算した。

(7) 吉原義夫(同別表順号29)について

a 吉原義夫(以下「吉原」という。)に対する寄付金のうち二〇〇万円については、前記(3)と同様、約定利率は月四分なので、利息制限法一条一項所定の年一五パーセントの割合により計算したものであり、この点については、原告も認めるところである(詳細は別表3付表1-4のとおりである。)

b 吉原に対するその余の貸付金一六六万円については、次のとおりである。

すなわち、原告は、同人から、昭和五五年一二月三〇日付で、次の金額・満期の手形を振り出させた。

原告・酒寄誠間の損害賠償請求事件において原告が認めているもの

〈1〉 一六六万円(満期同五七年一月二五日)

〈2〉 一三万二〇〇〇円(満期同五六年一二月二五日)

〈3〉 五万円(満期同年一〇月二五日)

〈4〉 五万円(満期同年八月二五日)

〈5〉 五万円(満期同年一一月二五日)

原告の常陽銀行戸頭支店の預金口座に入金されているもの

〈6〉 五万円(満期同年一月二五日)

〈7〉 五万円(満期同年二月二五日)

〈8〉 五万円(満期同年三月二五日)

〈9〉 五万円(満期同年四月二五日)

〈10〉 五万円(満期同年五月二五日)

〈11〉 五万円(満期同年六月二五日)

また、決済はされていないが、支払提示がなされたことから

〈12〉 一六万四八〇〇円(満期同年七月二五日)

の手形の存在が推認され、さらに右〈1〉ないし〈12〉の手形の存在から、同日付で

〈13〉 五万円(満期同年九月二五日)

の手形が振り出されたことが推認される。

これらの手形をもとに、〈1〉の一六六万円を元金として、前記aの貸付利率月四パーセントで計算をすると、その一年間の利息は、右〈2〉ないし〈13〉の合計額と一致する。

このことから、原告は、同人に対し、昭和五五年一二月三〇日、元金一六六万円を、利息は同五六年一月から六月、同年八月から一一月までは各五万円、同年七月は一六万四八〇〇円、同年一二月は一三万二〇〇〇円をそれぞれ支払うとの約定で貸し渡したものというべきである。

右事実を前提に利息収入を計算すると、別表3付表2のとおりとなる。

(8) 湯沢金次郎(同別表順号30)について

借用証書による約定利率が利息制限法の最高利率を超えているため、返済期限昭和五五年一二月二四日までは、前記(3)と同様年一五パーセントの割合により、その後は、遅延損害金として右利率と同率の割合により計算した。

(9) 田口好夫(同別表順号31)について

借用証書による約定利率が利息制限法の最高利率を超えているため、返済期限昭和五五年三月三〇日までは、前記(3)と同様年一五パーセントの割合により、その後は、遅延損害金として右利率と同率の割合により計算した。

(10) 吉田征夫及び同とみい(同別表順号32)について

右両名に対する貸付金については、原告が吉田征夫の所有家屋について設定した抵当権設定登記によれば、利息が年一五パーセント、損害金が年三〇パーセントとなっており、右登記簿の記載をもとに算定した(別表3付表1-6)。

5 本件各係争年分における貸倒金について

(一) 貸倒れの要件

所得税法五一条二項は、事業所得を生ずべき事業の遂行上生じた売掛金、貸付金、前渡金その他これらに準ずる債権の貸倒れにより生じた損失の金額は、その損失の生じた日の属する年分の事業所得の金額の計算上、必要経費に算入する旨規定する。

右規定により、必要経費として控除されるためには、当該債権が原告の事業遂行上生じたものであることが必要であるとともに、次のいずれかに該当することを要し、単に弁済がないとか、債務免除したというだけでは足りない。

(1) 会社更生法、商法上の整理、特別清算、和議法の規定により切り捨てられた債権

倒産処理により切り捨てられた債権であっても、右のように法律の規定によらない場合は、不当な切捨てが行われるおそれがあるので、貸倒れと認定されるためには、合理的基準により切り捨てられたものに限定すべきである。

(2) 債務免除の対象となった債権については、債務者の債権超過の状態が相当期間継続し、弁済の見込みがないと認められる場合であって、かつ債権者が債務者に対し、書面により、免除する債務、金額を特定して意思表示した場合

(3) 右(1)及び(2)以外の場合で、債務者の資産状況、支払能力等からみて、債権者が債権の全額について弁済を受けられないことが客観的に確実になった場合

しかし、債権の一部についてのみ弁済が受けられない場合は、貸倒れとは認められない。また、債権に担保がある場合には、担保を実行した後でなければ、貸倒れとはいえない。

右各要件に照らすと、原告主張の貸倒れのうち、前記1(二)及び2(二)以外は、いずれも右要件を満たしておらず、必要経費として算入することはできない。

(二) 貸倒損失の立証責任

必要経費の立証責任を納税者と課税庁のいずれが負うかについては、争いがあるが、必要経費の存否に関連する事実は、多く納税者の直接支配する生活現象の中で生起する事柄であって、納税者において容易に立証できること、その存在を主張することが通常納税者に明らかに利益であると認められることから、課税庁の主張を超える必要経費については、納税者に立証責任がある。

特に、特別経費としての貸倒損失の立証責任については、貸倒損失が異例の事態であり、債務者が外形上企業活動を継続している以上、債権の回収可能が事実上推定されるとともに、貸倒損失が権利消滅事実に該当することから、納税者が立証責任を負うべきである。

ところが、本件においては、被告主張以外の貸倒損失について、具体的立証がないのであるから、その不利益は、原告が負うべきである。

6 本件各更正処分の適法性について

本件各係争年分の事業所得金額、分離課税の譲渡所得金額及び分離課税の雑所得金額は、前記1ないし3のとおりであるところ、右事業所得金額は、被告が本件各更正処分において認定した原告の事業所得金額(本件各係争年分について裁決により一部取り消された後のもの)を上回るものであるから、本件各更正処分は、いずれも適法である。

7 本件過少申告加算税賦課決定処分の適法性について

原告が本件各係争年分にかかる事業所得の金額をいずれも過少に申告していたので、被告は、本件各更正処分に伴い原告が納付すべき所得税額(重加算税の対象となる部分を除く)を基礎とし、国税通則法六五条一項(昭和五九年法律第五号による改正前のもの)により計算した過少申告加算税をそれぞれ賦課決定した(その内容は、別表4及び同表付表1ないし3「本件各係争年分の所得税額及び過少申告加算税額の計算過程説明書」のとおりである。国税通則法一一八条三項、一一九条四項(昭和五九年法律第五号による改正前のもの)により、いずれも該当端数を切り捨てた。)のであるから、右各賦課決定処分は適法である。

8 本件重加算税賦課決定処分の適法性について

前記3(二)のとおり、原告は、貸付金の回収のため、岡田友春所有の土地を売却し、謝礼金等を受領した。しかし、原告は、本件土地の売買が、岡田友春と株式会社中常との間でなされたにもかかわらず、日興建設株式会社が中間譲渡人であるかのように事実を仮装し、また本件土地の譲渡代金の清算に架空の経費を算入して前記謝礼金等の額を圧縮した。

このことは、国税通則法六八条一項(昭和五九年法律第五号による改正前のもの)に規定する国税の課税標準等の計算の基礎となるべき事実の一部を隠蔽し又は仮装したことに該当するから、本件重加算税賦課決定処分は適法である(その内容は、別表4のとおりである。国税通則法一一八条三項、一一九条四項(昭和五九年法律第五号による改正前のもの)により、いずれも該当端数を切り捨てた。)。

(原告の主張)

1 本件各処分の違法性

原告の、本件各係争年分の事業所得金額等は、別表1-1ないし3の各確定申告欄記載のとおりである(被告主張の本件各係争年分の事業所得の各項目に対する認否は、別表2-1ないし3の認否欄記載のとおりである。)ところ、被告は、本件各係争年分について事業所得金額を過大に認定した違法がある。したがって、本件各係争年分の本件各更正処分及び過少申告加算税賦課決定処分(いずれも裁決により一部取り消された後のもの)は違法であり、取り消されるべきである。

また、昭和五十七年分の重加算税賦課決定処分は、後記4のとおり、事実誤認に基づくものであり、取り消されるべきである。

2 本件各係争年分の原告の利息収入について

(一) 被告が主張する原告の利息収入のうち、別表3の順号1ないし16、19、26ないし28、33ないし42は認め、その余は否認する。なお、日興建設及び山名孝二については、債務者及び貸付金額について争うが、昭和五七年中の利息収入が被告主張のとおりであることは認めるものである。

(1) 渡辺明清(同別表順号17)について

同人に対する貸付金の存在及び金額は認める。しかし、原告は、渡辺に対し、同人所有の不動産に抵当権を設定していたが、右不動産の競売手続(水戸地裁土浦支部昭和五六年ケ第四四号)において、原告に対する配当がなく、利息収入を得ることができなかった。

(2) 柿沼邦男(同別表順号18)について

同人に対する貸付金の存在及び金額は認める。柿沼に対しては、昭和五八年一二月末まで月四分の利息の約定で貸し付けており、利息のうち、昭和五六年中に五〇万円を受領したが、その余の利息については、元金完済時に支払を免除したのであって、その部分については利息収入が発生していない。

(3) 伊藤勝明、今井進一及び杉本勝之(同別表順号20、21及び25)について

同人らに対する貸付金の存在及び金額は認める。しかし、同人らは、いずれも貸付直後に行方不明となっており、利息だけでなく元金についても、昭和五六年中に貸倒れになっている。

(4) 小沼隆三(同別表順号23)について

小沼隆三(以下「小沼」という。)に対する貸付金の存在及び金額は認める。しかし、同人は、貸付直後に行方不明となっており、利息だけでなく元金についても、昭和五五年中に貸倒れになっている。

(5) 小羽進(同別表順号24)について

小羽進(以下「小羽」という。)に対する貸付金の存在及び金額は認める。しかし、原告は、同人から、昭和五六年及び同五七年中に利息を受領していない。

(6) 吉原義夫(同別表順号29)について

同人に対する貸付金の存在及び金額は認めるが、利息収入額は否認する。

(7) 湯沢金次郎(同別表順号30)について

同人に対する貸付金の存在及び金額は認める。しかし、同人は、貸付直後に行方不明となっており、利息だけでなく元金についても回収不能である。

(8) 田口好夫(同別表順号31)について

同人に対する貸付金の存在及び金額は認める。しかし、同人が昭和五五年中には返済能力を喪失したため、原告は、同年中に、同人に対し、債権を放棄した。

(9) 吉田征夫及び同とみい(同別表順号32)について

両名に対する貸付金の存在及び金額は認める。しかし、両名とも返済能力がなくなったため、原告は、両名に対し、昭和五六年一一月二五日、債権を放棄した。

(二) 以上のとおり、原告の利息収入額は、次のとおりである。

昭和五五年分 五六四万三五五一円

同五六年分 五七七万七四七五円

同五七年分 一二九〇万五七〇一円

3 貸倒金の存在について

(一) 貸倒損失の認定基準

被告は、必要経費のうち、貸倒金について昭和五五年分で二八〇万円、同五六年分で二一八万円を認めるだけであるが、別表5「貸倒損失の金額(原告の主張)」の原告主張額欄記載の金額は、いずれも貸倒損失であり、該当各年分の必要経費として算入されるべきである。

貸倒れとして損失に計上できるのは、債務者の資力喪失の事実が生じたときというべきであり、債務者自身の能力、社会的信用などを考慮して判断すべきである。具体的には、〈1〉債務者に事業閉鎖、行方不明などの客観的事実の生じていないときであっても、他に資産がなく、その事業によって得られる収入が債務者の生活を維持するのに精一杯であるなどの状況、〈2〉債権者の債権回収の努力と手段の内容、〈3〉債務者の態度等の事情を総合的に判断し、事実上回収不能と認められるときには、貸倒損失に該当するというべきである。

右要件を前提に検討すれば、次のとおり、原告主張の各債務者に対する債権は、いずれも貸倒れに該当する。

(二) 個別的な貸倒の存在

(1) 石﨑輝子(以下「石﨑」という。)について

石﨑は、貸金業を営んでいたものであるが、原告は、同人に対し、同別表記載の貸付金債権を有するとともに、石﨑が別表6「原告の保証債務弁済額(石﨑関係)」債務者欄記載の者から営業資金を借り入れた際にその保証人となり、その後、保証債務の履行として、同別表弁済金額欄記載の金額を各債権者らに弁済したことに基づく、求償金債権を有する。しかし、石﨑は、貸金業の経営に行き詰って昭和五五年に倒産し、弁済能力を喪失した。原告は、石﨑の債務について保証するに際し、同人の有する貸付金債権を担保としたが、石﨑が債権取立てを依頼した者に右貸付金債権の借用証書の大半を持ち逃げされ、また、残された債権の債務者にはいずれも弁済能力がなく、石﨑に対する求償金債権も回収不能となった。

したがって、原告の石﨑に対する債権の全額が、昭和五五年中に回収不能となったというべきであるが、同年の貸倒損失と認められなくても、遅くとも同五六年中には回収不能となったことが明らかである。

(2) 梅津幸三及び同静枝について

右両名に対する貸付金債権は、昭和五五年七月二八日の時点で、三七〇万五二〇〇円であった。

このうち、一三六万五二〇〇円は、貸付金元本残七〇万円と利息六五万五二〇〇円を合算したものであるが、これについては、次のとおり、昭和五六年中に貸倒れとなっている。すなわち、梅津幸三(以下「幸三」という。)は、昭和五六年に麻薬取締法違反により服役し、同人からの取立てが不能となっただけでなく、右両名は、同年に離婚し、梅津静江(以下「静江」という。)は生活保護を受けている状態で、いずれも弁済能力がなく、回収不能となった。

次に、残金二三四万円については、飯田よし他二名が保証したものである。もともと、右債務の連帯保証人は、静枝の兄弟である飯田キミノリと山崎ミツであったが、飯田キミノリが死亡したため、同人の相続人である飯田よしが連帯保証人となった。原告は、幸三及び静枝に対する債権につき、水戸地方裁判所土浦支部に対し、返還を求める調停の申立てをしたが、調停が継続している間、原告は飯田よしらとの間で、和解が成立したことはない。飯田よしは、糖尿病のために両足が切断された状態であり、山崎ミツは、家政婦をし、子供に世話になりながら生活し、自己名義の資産は何一つないような状態であったため、原告は右調停を取り下げた。このように、飯田よしらが連帯保証した二三四万円についても、昭和五七年中には、回収が不能となっている。

(3) 谷下田松雄について

谷下田松雄(以下「谷下田」という。)に対する貸付金は、手形を担保とするものであったが、右手形は昭和五五年八月下旬に不渡りとなり、原告がそのころから数回取立てに赴いても、塗装業を営む谷下田がシンナーを原因とする職業病にかかり、後遺症一級の身体障害者で就業できない状態にあったこと、自己名義の資産が何もないこと等から、原告は、同年中に谷下田に対する債権を放棄した。

(4) 湯沢金次郎について

湯沢金次郎(以下「湯沢」という。)は、昭和五五年春ころ、住民票をそのままにして行方不明となった。原告又は石﨑は、その後、同五六年ころまでに四、五回にわたって取立てに赴いたが、住所地には実父がいるだけで、実父に湯沢の行方を尋ねても、「もうここには帰ってこない。親不孝者なので、俺の子と思いたくない。」などと言われるだけであった。原告のような零細金融業者にとって、このように債務者の行方不明という状況に加え、右のような取立て作業を行うことが精一杯の方法であり、それ以上の手段を採ることは事実上不可能である。このような状況に照らせば、湯沢に対する債権は、昭和五五年中には取立て不能となったというべきであり、仮に同年中の貸倒れが認められなかったとしても、同五六年において取立て不能というべきである。

(5) 田口好夫について

田口好夫(以下「田口」という。)は、昭和五四年暮に一度行方不明となったが、同五五年暮ころ、同人が隠れ家に所在することが判明したため、原告は督促に赴いた。しかし、田口が、定職もなく、覚醒剤使用により歯がなくなり、他人の車を運転している状態で、しかも無免許運転により服役したため、原告は、昭和五五年暮に、同人に対する債権を放棄した。よって、同人に対する債権は、同年中に回収不能となった。仮に同年中の貸倒れが認められないとしても、同五六年初めころ、田口は、覚醒剤取締法違反の容疑で逮捕され、その使用歴からみて実刑は間違いがないことから、遅くとも同年中には、貸倒れになったというべきである。

被告は、田口の申述書に、同五八年ころ、田口が被告から八〇万円を借り入れているので、回収不能ではないとするが、この申述書は、国税庁の職員の言うままに記載されたものであり、本人の直筆である甲第三号証と対比しても、田口自ら記載したものでないことは明らかである。内容的にみても、「…五八年四、五月頃荒木と石﨑と男性の三人が二七〇万円の督促にきたが、…」という記載は、前記の昭和五五年暮の督促を誤って記載したものと考えられ、この点からも、申述書の信用性に疑いを持たざるを得ない。

(6) 伊藤勝明について

伊藤勝明(以下「伊藤」という。)は、貸付直後に行方不明となったため、債権全額が回収不能となった。

(7) 今井進一について

今井進一(以下「今井」という。)に対する貸付金の返済期限である昭和五六年九月七日以後、原告は、再三にわたり、同人宅へ取立てに赴いた。同人宅には母親がいるだけで、「だいぶ前から家を出たまま帰ってこない。」と言うばかりで所在不明であった。しかも、同人は、定職にも就いておらず、借家住いで見るべき資産もなかったため、同年中には、回収不能になったというべきである。

(8) 杉本勝之について

杉本勝之(以下「杉本」という。)は、原告から借り入れた昭和五六年一月三〇日直後に姿をくらました。原告は、同人宅へ再三にわたって取立てに赴いたが、大家からは、「昭和五六年春ころから姿を見ていない。」と言われ、取手警察署へ相談に行っても、「この男は、寸借詐欺を繰り返している札付きの男だ。借りていなくなっただけでは、(告訴は)難しい。」と言われる状況であり、杉本に対する債権は、同年中に回収不能となったというべきである。

(9) 大洋建設株式会社について

大洋建設株式会社(以下「大洋建設」という。)は、昭和五六年に倒産したので、その債権全額が回収不能となった。

ところで、被告は、同社に対する貸付金の存在を否定している。しかし、原告が、昭和五四年五月二五日、同社の代理人と称する者に、弁済期を同五六年五月二四日と定めて六〇〇万円を貸し渡したことは事実であり、その者に対する同額の貸金請求権又は損害賠償請求権が存在する。しかるに、その者の所在は判然としないのであるから、右請求権は、同五六年中に回収不能となったというべきである。

(10) 大一物産株式について

大一物産株式会社(以下「大一物産」という。)は、昭和五六年三、四月ころ倒産したので、その債権全額が回収不能となった。

被告は、原告の同社に対する貸付金を否認するが、仮に、同社代表取締役今野登の代理と称して借用証書に署名をした者が無権代理であるとすると、右貸付金は、もともと原告の佐々木良雄に対する昭和五五年二月二六日付四〇〇万円の貸付金であったのであり、同人に対する貸付金として、昭和五六年中に回収不能となったものである。

(11) 吉田征夫及び同とみいについて

吉田征夫及び同とみい(以下「征夫」及び「とみい」という。)に対する貸付金は、昭和五三年三月二三日付七〇〇万円と同五五年四月一〇日付六四五万円の合計一三四五万円であるが、右両名とも弁済能力がないことから、原告は、昭和五六年一一月二五日、両名に対する債権全額を放棄した。それは、征夫は、その当時、仕事はしていたもの、持病の肝臓病のために一週間のうち数日しか稼働できず、従業員も一人もおらず、子供二人を抱えて、実家から毎月一〇万円と食料の仕送りを受けるような生活を送っていたためである。

征夫所有不動産について、原告が設定を受けていた抵当権が、競売手続により抹消される昭和五九年八月一〇日まで残存していたが、これは、第三順位で配当可能性がなかったために、原告は、右債権放棄時に、征夫に対し、権利証等の関係書類を返却していたところ、征夫が抹消手続をしないまま経過したためであり、右経過からすると、抵当権設定登記が残っていたからといって、債権放棄を認定する妨げとなるものではない。

また、征夫は、昭和五七年四月一日、原告に対し、五万円を送金したが、これは、借入金の返済ではなく、原告に迷惑を掛けていたことへの陳謝の気持ちから送金したものである。

(12) 菅野二郎について

菅野二郎(以下「菅野」という。)は、バーテンをしていたものであるが、昭和五四年一一月三〇日に貸し付けた直後から行方が分らなくなった。原告は、その後、二回ほど菅野に出会い、その都度返済の約束をさせたが、結局同五七年に行方不明となったため、その債権全額が回収不能となった。

(13) 小沼隆三について

小沼に対しては、昭和五五年一〇月七日に二〇〇万円を貸し付けたが、その後、同人の行方が分らなくなった。原告は、弁護士に依頼するなどして小沼の行方を探ったが、結局行方を把握することはできず、同人に対する債権は、同年中には貸倒れとなった。

(14) 星野政一について

星野政一(以下「星野」という。)は、昭和五七年四月三〇日、原告から三〇〇万円を借り受けたが、同年一一月ころには、姿をくらまし、自宅に戻らないまま、同五八年一一月二一日死亡した。星野は、水商売関係の女性を斡旋するという仕事に手を染めたため、トラブルに巻き込まれて殺害されたものである。したがって、同人に対する債権は、同五七年中には、回収不能となっている。

(三) 以上のとおり、本件各係争年分において必要経費に算入されるべき貸倒金は、次のとおりとなる。

昭和五五年分 一〇一八万二四六〇円

同五六年分 五九八一万一二八〇円

同五七年分 二一二八万円

4 本件重加算税賦課決定処分の違法性

(一) 原告は、日興建設に対し、次のとおり合計八一三万円を貸し付けた。

昭和五六年末ころ 四〇〇万円及び一三〇万円

同五七年三月末 一〇〇万円

同年四月末 一〇〇万円

同年五月末 八三万円

(二) 原告は、満及び友春に対し、昭和五七年一〇月の時点で、合計一八二五万七九〇〇円の貸金債権を有していたが、同人らとの話合いで、友春所有の本件土地を売却し、その代金で右債務を弁済する旨合意した。右両名は、原告に対し、本件土地の売却手続事務を委任した。原告は、宅建免許を有している日興建設を買主とし、これを他に転売させることにより生じた売却益の中から、同社に対する債権を回収しようと考えた。そこで、友春は、昭和五七年一〇月二五日、日興建設に対し、本件土地を代金二九〇七万円で売却し、さらに日興建設は、同年一一月二日、中常に対し、同土地を代金三八六四万円で売却した。原告は、日興建設の右売却益の中から、同社に対する債権及び利息全額の弁済を受けた。

(三) 右のように、友春と日興建設間及び日興建設と中常間の各売買は、いずれも仮装ではなく、実体を伴うものであり、本件重加算税賦課決定処分は誤認した事実に基づく違法な処分である。

三  具体的争点

1  本件各係争年分の利息収入額

別表3順号15ないし18、20、21、23ないし25、29ないし32の各貸付金につき、被告主張の利息収入が原告に生じたかどうか。

2  本件各係争年分の貸倒損失額

本件各係争年分の必要経費として、被告が認めた以外に、別表5記載の貸倒損失が生じたかどうか。

3  本件土地売買の当事者及び原告が取得した謝礼金額

本件土地売買に、日興建設が当事者として関与したかどうか。本件土地売買に関する原告の謝礼金がいくらであったか。

第三当裁判所の判断

一  本件各更正処分及び本件各賦課決定処分

被告が、昭和五九年三月二日、原告に対し、原告主張のとおりの本件各更正処分及び本件各賦課決定処分をなしたこと、原告が、右各処分につき、関東信越国税不服審判所長に対して審査請求をしたところ、同所長が、平成元年六月九日、別表1-1ないし3裁決欄記載のとおり、本件各係争年分のいずれについても、一部取り消す旨の裁決をし、右裁決は、同年七月四日原告に対して送達されたことは、当事者間に争いがない。

二  本件各係争年分の利息収入額について(争点1)

1  所得税法三六条一項は、「その年分の各種所得の金額の計算上収入金額とすべき金額又は総収入金額に算入すべき金額は、別段の定めがある場合を除き、その年において収入すべき金額とする。」と規定する。

右規定によれば、所得計算の基礎とすべき収入金額は、その年において実際に収受した金額だけでなく、収入実現の可能性が高度である金額も含むと解するのが相当であるから、金銭消費貸借契約上の利息・損害金債権については、それが現実には未収であっても、その履行期が到来した以上、当該年分の収入金額に算入し、課税の対象となるべき所得を構成するというべきである。

収入金額に算入すべき利息及び損害金が、利息制限法所定の利率を超過する利率により計算されている場合には、(一)貸主が、制限超過の利息・損害金を現実に収受したときには、貸主において当該制限超過部分を元本に充当されたものとして処理することなく、従前の元本が存在するものとして取り扱っている以上、現実に収受された利息・損害金の全額が貸主の所得として計算され、課税の対象となり、(二)当該利息・損害金が、約定の年度内に支払われなかったときは、当該制限超過部分の利息・損害金は、その基礎となる約定自体が無効であるから、履行期の到来によっても利息・損害金債権は生ぜず、一般的に収入実現の蓋然性がないというべきであり、したがって、未収である限りは「収入すべき金額」に該当せず、未収の利息・損害金は、法定の制限利率内の部分が課税の対象となるものと解するのが相当である。

2  本件各係争年分の利息収入額

(一) 昭和五五年分の利息収入のうち、原告に別表3順号2、4、8、10、27、35、37の昭和五五年欄記載の各収入があったこと、同五六年分の利息収入のうち、原告に同別表順号1ないし5、7、8、10、12、26、27、33ないし35、39及び40の昭和五六年欄記載の各収入があったこと、同五七年分の利息収入のうち、原告に同別表順号1、3ないし6、8ないし11、13、14、19、26ないし28、33、35、36、38、39、41、42の昭和五七年欄記載の各収入があったことは、それぞれ当事者間に争いがない。

以下、個別の利息収入額を検討するに当たり、その前提として、国税局員が、税務調査の過程で作成したメモ(乙一の1ないし8)の信用性を判断する。証拠(乙六二、原告本人)によれば、関東信越国税局所属の国税実査官らが、昭和五八年四月一二日原告宅を訪れて所得税の調査を行ったこと、右各乙号証は、右係官らが、その調査の際、原告宅に置いてあった鞄の中に存在した借用証書等の書類、預金通帳等の書類の内容を書き写したメモであることが認められ、その信用性について特に問題とすべき事情は認められない。

(二) 日興建設及び山名孝二(同別表順号15及び16)について

この両者については、原告の貸付先がいずれかが争われているが、いずれにしても昭和五七年中に四六万円の利息収入が原告に生じたことは当事者間に争いがないのであるから、右金額を同年中の利息収入として計上すべきである。

(三) 渡辺明清(同別表順号17)について

原告が、渡辺に対し、昭和五五年九月七日の時点で、四三〇万円の貸付金債権を有していたことは、当事者間に争いがなく、証拠(乙一の2)によれば、右債権について利率を月一分とする約定がなされていたことが認められる。したがって、同人については、貸付日以降毎月一分の割合による利息収入が発生していたといえ、同人から本件各係争年分の利息収入は、別表7「利息収入額」認定額欄記載のとおりである(計算根拠は、別表3付表1-1のとおりである。)。

原告は、渡辺から現実に利息収入を得ることができなかった旨主張するが、履行期が到来している以上、現実に受領しなくても、当該年分の収入金額に算入すべきことは、前記1で説示したとおりであり、原告の右主張は採用できない。

(四) 柿沼邦男(同別表順号18)について

原告が、柿沼に対し、昭和五五年六月一〇日、一八八万円を利息月四分、弁済期昭和五八年一二月末日までの分割払いの約定で貸し付けたこと、右貸付金は、昭和五七年一二月までに元金が完済されていることは、当事者間に争いがない。

証拠(乙一の7、8、一一の1、一八の9、二五)によれば、右貸付金について、原告と柿沼てる間で、昭和五六年一月一七日付「債務額認諾並びに分割弁済確認証書」が作成されたこと、右証書には、割賦弁済明細書が添付され、昭和五六年一月から同五八年一二月まで一か月一〇万円ずつ合計三六回の割賦弁済金の元金と利息に対する充当関係及び「57・12・7 1金600,000にて全部領収済」などが記載されていたこと、柿沼から原告の常陽銀行戸頭支店普通預金口座(以下「原告口座」という。)に昭和五六年九、一一、一二月、同五七年二及び四月にそれぞれ一〇万円が振り込まれたことが認められる。

前記争いのない事実に、右認定事実を併せて考えると、原告の柿沼に対する貸付金については、貸付日から月四分の割合による利息が発生していたものということができ、昭和五五年においても、利息の弁済期が到来していたといえる。しかし、原告は、同年中、利息を現実に受領していなかっこところ、当事者間に争いのない約定利率は、利息制限法の最高利率を超えているのであるから、同法所定の最高利率年一五パーセントの割合で計算した一五万八三八三円が、同年中の利息収入である(計算根拠は、別表3付表1-2のとおりである。)。

昭和五六年には、前記認定のとおり、柿沼から原告口座に同年九、一一及び一二月にそれぞれ一〇万円ずつが振り込まれているが、右現実に収受された金員が元金に充当されるべきものであるか、利息として収受したものかは明らかではない。他に原告が、柿沼関係で同年中に金員を収受したことを認めるに足りる証拠はないのであるから、同年中においても、利息制限法所定の最高利率年一五パーセントの割合で計算された金額が、同年中の利息収入であるというべきである。したがって、同年中の利息収入は、二八万二〇〇〇円となる(計算根拠は、別表10計算表記載のとおりである。)。

同五七年には、前記認定によれば、柿沼から原告口座に合計二〇万円が振り込まれ、同年一二月七日に六〇万円を支払ったことにより、すべての返済が終了したものといえる。同年においても、原告が収受した金員が利息であるかどうかは明らかでないとういうべきであるから、同五六年分と同様、利息制限法所定の最高利率年一五パーセントの割合で計算された利息二六万三四五七円が、同年中の利息収入である(計算根拠は、別表10計算表記載のとおりである。)。

被告は、同五六年中に元金及び利息合計として毎月一〇万円ずつ合計一二〇万円が支払われ、元金に三七万二六四六円、利息に八二万七三五四円が充当されたが、前年分の未収利息一五万八三八三円を控除した六六万八九七一円が、同年分の利息収入であるとし、同五七年には、元本一五〇万七三五四円が残っていたところ(一八八万円-三七万二六四六円)、同年中に元金及び利息合計として毎月一〇万円ずつ(一二月は六〇万円)、合計一七〇万円が支払われたため、同年分の利息収入は、一九万二六四六円(一七〇万円-一五〇万七三五四円)となると主張する。しかし、昭和五六年一月一七日付「債務額認諾並びに分割弁済確認証書」付属の明細書(乙一の8)は、基本的に割賦弁済予定の明細を記載したものにすぎず、右明細書からは、同五七年一二月七日に六〇万円が返済されたことが認められる以外に、現実に金員が返済されることを伺わせるような記載は見られない。また、前記認定の他には、原告が、同五六年から同五七年にかけて、柿沼から毎月一〇万円ずつ返済を受けていたことを認めるに足りる証拠はないのであるから、被告の右主張は採用できない。

(五) 伊藤勝明(同別表順号20)について

原告が、伊藤に対し、昭和五六年八月二四日、三〇万円を貸し付けたことは、当事者間に争いがなく、証拠(乙一の4)によれば、右貸付金の利息は、月七分であることが認められる。

右認定の利率は、利息制限法一条の制限を超過しており、超過部分の約定は無効である一方、右制限超過利息が現実に収受されたことを認めるに足りる証拠はないから、同条の制限内である年一八パーセントの割合により利息収入を算定すべきである。

右割合により計算した伊藤関係の利息収入は、別表7認定額欄記載のとおりである(計算根拠は、別表3付表1-2のとおりである。)。

(六) 今井進一(同別表順号21)について

原告が、今井に対し、昭和五六年九月七日、五〇万円を貸し付けたことは、当事者間に争いがなく、証拠(乙一の5)によれば、右貸付金の利息が月七分であったことが認められる。

右認定の利率は、利息制限法一条の制限を超過しており、超過部分の約定は無効である一方、右制限超過利息が現実に収受されたことを認めるに足りる証拠はないから、同条の制限内である年一八パーセントの割合により利息収入を算定すべきである。他方、後記三2(八)のとおり、同人に対する貸付金債権は、昭和五七年中に貸倒れになったものというべきであるから、同五六年分の利息はすべて収入に組み入れるべきものといえるが、同五七年分の利息を収入に組み入れることはできない。

したがって、今井についての利息収入は、別表7認定額欄記載のとおりである(計算根拠は、別表3付表1-2のとおりである。)。

(七) 小沼隆三(同別表順号23)について

原告が、小沼隆三(以下「小沼」という。)に対し、昭和五五年一〇月七日、二〇〇万円を貸し付けたことは、当事者間に争いがなく、証拠(乙二)によれば、約定利率は年一割五分であり、利息の弁済期は元本の弁済期である昭和五六年四月七日であることが認められる。

右認定によれば、小沼に関し、昭和五五年分の利息収入は発生せず、同人についての利息収入は、別表7認定額欄記載のとおりとなる。

被告は、借用証書(乙二)には、弁済期について「昭和五六年四月七日以内とす。」と記載されているので、貸付日から利息収入は計上すべきであると主張する。しかし、同借用証書には、利息の支払期は、元本弁済時において計算を行い、元利併せて支払う旨の記載がなされており、この記載と元本弁済期の記載を併せて考えれば、利息についても、元本の弁済期まで履行期が到来しないものというべきである。したがって、被告の昭和五五年分の利息収入の主張は採用できず、同年分の利息は、同五六年分に併せて算定すべきである。

なお、原告は、小沼に対する貸付金債権について、貸倒れにより回収不能である旨主張するが、後記三2(一三)のとおり、右主張は採用できない。

(八) 小羽進(同別表順号24)について

原告が、小羽に対し、昭和五六年九月一日、三〇万円を貸し付けたことは、当事者間に争いがなく、証拠(乙一の4)によれば、同人に対する利率は、月七分であることが認められる。

右認定の利率は、利息制限法一条の制限を超過するものであり、超過部分の約定は無効である一方、右制限超過利息が現実に収受されたことを認めるに足りる証拠はないから、同条の制限内である年一八パーセントの割合により利息収入を算定すべきである。

したがって、同人に関する利息収入は、別表7認定額欄記載のとおりとなる(計算根拠は、別表3付表1-3のとおりである。)。

(九) 杉本勝之(同別表順号25)について

原告が杉本に対し、昭和五六年一月三〇日、八〇万円を貸し付けたことは、当事者間に争いがなく、証拠(乙三)によれば、同人についての利息は月三万円であることが認められる。

右認定の利息額は、年四五パーセントの割合の利率に相当するものであり、利息制限法一条の制限を超過し、超過部分の約定は無効である一方、右制限超過利息が現実に収受されたことを認めるに足りる証拠はないから、同条の制限内である年一八パーセントの割合により利息収入を算定すべきである。したがって、杉本に関する利息収入は、別表7認定額欄記載のとおりとなる(計算根拠は、別表3付表1-3のとおりである。)。

なお、原告は、杉本に対する貸付金債権について、貸倒れにより回収不能である旨主張するが、後記三2(九)のとおり、右主張のとおり採用できない。

(一〇) 吉原義夫(同別表順号29)について

(1) 原告が、吉原義夫(以下「吉原」という。)に対し、昭和五五年五月二七日、利息月四パーセントの約定で、二〇〇万円を貸し付けたこと、右貸付の本件各係争年分の利息として、原告に別表3順号29上段記載の各収入が生じたことは、当事者間に争いがない。

(2) 吉原が原告に対し、昭和五五年一二月三〇日、額面が〈1〉一六六万円(満期同五七年一月二五日)、〈2〉五万円(満期同五六年八月二五日)、〈3〉五万円(満期同年一〇月二五日)、〈4〉五万円(満期同年一一月二五日)、〈5〉一三万円二〇〇〇円(満期同五六年一二月二五日)の各手形を振り出したことは、当事者間に争いがない。

証拠(乙一八の1ないし9、八一)によれば、吉原は、原告に対し、昭和五五年一二月三〇日付で、次のとおり手形を振り出したことが認められる。

〈6〉 五万円(満期同年一月二五日)

〈7〉 五万円(満期同年二月二五日)

〈8〉 五万円(満期同年三月二五日)

〈9〉 五万円(満期同年四月二五日)

〈10〉 五万円(満期同年五月二五日)

〈11〉 五万円(満期同年六月二五日)

〈12〉 一六万四八〇〇円(満期同年七月二五日)

前記争いのない五通の各手形及び右認定の七通の各手形の存在から、昭和五五年一二月三〇日付でさらに〈13〉五万円(満期同年九月二五日)の手形が振り出されたことが推認される。

これらの手形をもとに、前記(1)の貸付利率月四パーセントの割合で計算をすると、右各手形の合計額は、元金一六六万円及びその一年間の利息七九万六八〇〇円と一致する。

このことから、原告は、同人に対し、昭和五五年一二月三〇日、元金一六六万円を、利息は同五六年一月から六月、同年八月から一一月までは各五万円、同年七月は一六万四八〇〇円、同年一二月は、一三万二〇〇〇円をそれぞれ支払うとの約定で貸し渡したものというべきである。

そして、証拠(乙一八の9、七五の1ないし3、八一)によれば、満期が同五六年一月ないし同年六月までの各手形(〈6〉ないし〈11〉の各手形)は、現実に決済されていること、満期が同年七月以降の各手形(〈1〉ないし〈5〉、〈12〉及び〈13〉)は不渡り等で決済がなされていないこと、吉原が原告口座に、同年一一月一九日五万円を振り込んだことが認められる。

原告の吉原に対する手形貸付については、利息制限法の制限を超える利率の約定がなされたのであるから、超過部分の約定は無効であるが、右認定の現実に手形が決済された部分及び原告が吉原から利息として収受したと推認される同年一一月一九日振込の五万円については、現実に利息を収受したのであるから、その部分は同五六年の収入として計上し、同年七月以降(右振込部分を除く。)については、現実に利息を収受したことを認めるに足りる証拠はないから、利息制限法所定の最高利率年一五パーセントの割合により計算した利息及び遅延損害金を収入として計上すべきである。右を前提に利息収入を計算すると、別表7認定額欄記載のとおりとなる(計算根拠は、別表10計算表のとおりである。)。

被告は、同五六年七月満期手形(〈12〉)金額についても、現実に収受したと主張するが、右事実を認めるに足りる証拠はなく、右主張は採用できない。

(一一) 湯沢金次郎(同別表順号30)について

原告が、湯沢に対し、昭和五四年一二月二五日、一二〇万円を貸し付けたことは、当事者間に争いがない。

右貸付金についての連帯借用証書(乙六)には、貸付金の弁済期が同五五年一二月二四日との記載があるのみで、利息の約定はなく、他に右貸付に関する利息の約定を認めるに足りる証拠はない。しかし、金融を業として営む以上、利息の約定なく貸し付けることは通常考えられないことろ、別表3に記載された利息収入に争いのない債務者に対する利率をみても、原告は、最低でも月一パーセント以上の利率で貸し付けていたものであり、湯沢に対しても、貸付日から弁済日まで、少なくとも月一パーセントの割合による利息が、弁済期経過後は同率の割合による遅延損害金が発生していたとことが推認できる。したがって、同人に関する利息収入は、別表7認定額欄記載のとおりとなる(計算根拠は、別表10計算表のとおりである。)。

なお、原告は、湯沢に対する貸付金債権について、貸倒れにより回収不能である旨主張するが、後記三2(五)のとおり、右主張は採用できない。

(一二) 田口好夫(同別表順号31)について

原告が田口に対し、昭和五四年三月一三日、二七〇万円を貸し付けたことは、当事者間に争いがない。

右貸付金についての借用書(乙七の1)には、貸付金の弁済期が同五五年三月三〇日との記載があるのみで、利息の約定はなく、他に右貸付に関する利息の約定を認めるに足りる証拠はない。しかし、前記(一一)と同様、原告は、田口についても、貸付日から弁済日まで、少なくとも月一パーセントの割合による利息が、弁済期経過後は同率の割合による遅延損害金が発生していたことが推認できる。したがって、同人に関する利息収入は、別表7認定額欄記載のとおりとなる(計算根拠は、別表10計算表のとおりである。)。

なお、原告は、田口に対する貸付金債権について、貸倒れにより回収不能である旨主張するが、後記三2(六)のとおり、右主張は採用できない。

(一三) 吉田征夫及び同とみい(同別表順号32)について

原告が、征夫及びとみいに対し、昭和五五年四月一〇日当時、一三四五万円の貸付金債権を有していたことは、当事者間に争いがない。

証拠(甲三五の1、2、乙八、証人吉田とみい)によれば、右貸付金債権の弁済期が昭和五六年四月一〇日であること、原告が、征夫から設定を受けた抵当権の被担保債権の発生原因である昭和五三年二月二五日付金銭消費貸借契約においては、利息年一五パーセント、損害金年三〇パーセントの約定がなされていたこと、昭和五三年二月二五日付金銭消費貸借契約における貸付金債権七〇〇万円は、前記の一三四五万円の貸付金債権の一部であること、征夫は、同五七年四月一日、原告口座に五万円を振り込んでいることが認められ、右認定から、原告の前記貸付金債権のうち、七〇〇万円以外の部分についても、利息年一五パーセント、損害金年三〇パーセントの約定がなされていたこと及び五万円の振込が貸付金の返済としてなされたことが推認できる。

したがって、征夫及びとみいについては、別表7認定額欄記載のとおり、元金の弁済期である昭和五六年四月一〇日までは、年一五パーセントの割合による利息収入が、弁済期経過後は年三〇パーセントの割合による損害金収入が発生するというべきである(計算根拠は、別表3付表1-6のとおりである。)。

原告は、同人らに対する債権を、昭和五六年末ころに放棄したため、貸倒れになった旨主張するが、後記三1(一二)のとおり、右主張は採用できない。

(一四) 本件各係争年分の原告の利息収入額

以上をまとめると、当事者間に争いがある部分についての、本件各係争年分における原告の利息収入は、別表7認定額欄記載のとおりである。

三  本件各係争年分の貸倒損失について(争点2)

1  所得税法五一条二項は、事業所得を生ずべき事業の遂行上生じた貸付金等の債権の貸倒れにより生じた損失の金額は、その損失の生じた日の属する年分の事業所得の金額の計算上、必要経費に算入する旨規定する。

右規定により、貸金業者が貸倒損失を必要経費として計上するためには、当該債権が事業遂行上生じたものであることを要するとともに、債務者の債務超過の状態が相当長期間継続して債権の弁済を受けることが困難である状態のもとで、債権者が債務免除、債権放棄等の意思表示をしたことにより、当該債権が法律上消滅した場合、又は、当該債権が法律上存在する場合であっても、債務者の資産状態、支払能力等の点から債権の弁済を受けることが事実上不可能なことが客観的に明らかな場合であることが必要である。

これを前提として、争いのある別表5に掲げた本件各係争年分の貸倒損失額について検討する。

2  本件各係争年分の個別的な貸倒損失

(一) 石﨑に係る債務保証弁済額について

(1) 証拠(甲五の1、2、六の1、2、八の1、2、九の1ないし3、一〇の1ないし3、一一の1ないし3、一三、一四の1ないし3、一五の1、2、一六の1ないし4、一七の1ないし3、二三、二四、乙五八ないし六一、六五、証人野口正男、同山口政男、同根本弘、同石﨑輝子(一、二回、いずれも一部)、原告本人(一部))によれば、次の事実を認めることができ、右認定に反する証拠は採用できない。

〈1〉 石﨑は、昭和四八年ころから、茨城県龍ケ崎市内において、渡会武を従業員として満留富商会の名称で、また、その後同県土浦市内において、栄和久と共同で、裕商会の名称で、それぞれ金融業を営んでおり、昭和五三年ころ、原告と約二回にわたり取引を行ったことがあった。石﨑は、そのころ有していた約八〇〇〇万円の債権の約半分について元金及び利息の回収が滞り始めたため、千葉県松戸市の小松弁護士に、約三〇〇〇万円の債権について取立てを依頼したが、結局回収できず、同五四年ころには、同弁護士に対する依頼も撤回した。

〈2〉 石﨑の経営する金融業は、昭和五四年三月ころから同人が病気で入退院を繰り返し、またその混乱に乗じて従業員の渡会武や共同経営者の栄和久が営業資金を持ち逃げするなどの事態が生じたため、資金繰りに行き詰まってきた。石﨑は、昭和五三年ころから、金融業の運転資金にするため、根元弘、倉田源一ら数人に対して資金提供を依頼し、合計数千万円の資金提供を受けていたところ、提供を受けた資金が次第に高額になってきたことから、債権者らから保証人の提供を要請されるようになった。そこで、石﨑は、原告に対し、その当時保有していた約八〇〇〇万円の債権を担保として提供することを条件として保証を依頼した。その当時、右約八〇〇〇万円の債権の大半は回収が困難であると予想される不良債権であった。原告は、石﨑の申出に対し、その保有する債権の債権証書を預かることで保証に応じ、石﨑の債権者に対し、昭和五四年から同五六年ころにかけて順次保証した上で、別紙6「原告の保証債務弁済額(石﨑関係)」のとおり合計約四六〇〇万円の保証債務を弁済した。原告が弁済した債務の中には、原告が一旦弁済した後、新たに石﨑が借り入れた債務も含まれていた。

〈3〉 石﨑と原告は、昭和五五年秋ころ、東京都千代田区神田美土代町所在の木原四郎弁護士の法律事務所に勤務していた小沼に対し、石﨑が原告に担保提供した債権のうちから、約三五〇〇万円分について取立てを依頼して債権証書等を交付した。小沼は、数件分について回収したものの、回収した金員を石﨑らに渡さず、結局後記のとおり、昭和五九年ころ、小沼が行方不明となったことから、回収が不可能となった。

〈4〉 石﨑は、昭和五五年ころまでに自ら経営する金融業を事実上廃業し、その後、原告の業務を手伝うようになり、手数料の名目で、原告から毎月約一〇万円程度の金員を受領するなどしていたところ、返済が滞っていた根元弘及び大山光江ら同人の債権者数名から告訴され、昭和五七年二月九日、詐欺の容疑で土浦警察署に逮捕された。右逮捕後、原告から控訴人らに対して、石﨑の債務を弁済する旨の申し出がなされたため、告訴が取り下げられ、また、原告が石﨑の身元引受人となったため、石﨑は釈放された。原告は、同月二五日、大山光江に対して四五万円、同年三月二日及び三日に根元弘に対して合計八〇〇万円を支払った。釈放後、石﨑は、千葉県我孫子市に原告名義で借りたマンションに居住した。

(2) 右認定のとおり、原告は、石﨑の債務を保証し、その保証債務の履行として、約四六〇〇万円を返済しているが、貸金業者である原告が、それまで数回の取引しかなかった同業者の数千万円という多額の債務を保証すること自体、異例であるところ、原告が、保証の担保として石﨑から提供された債権の担保価値について、ほとんど調査らしい調査もせず、石﨑の言葉をうのみにして保証に応じているのは、極めて不自然である。原告が石﨑の債務を保証したのは、昭和五四年ころから同五六年ころにかけてであり、その間に石﨑の金融業は事実上倒産状態になったところ、その程度の期間があれば、原告としても、石﨑の金融業者としての業務がどのような状態であり、その有していた債権のほとんどが回収困難で、ひいては原告の求償権が満足されない状態になっていることが判明したはずであり、それにもかかわらず、原告がさらに保証に応じ、あるいは石﨑が詐欺の容疑で逮捕されたときに債務の弁済をし、身元保証までしているのは、貸金業者としての合理的範囲を超えた行動であるといわざるを得ない。右の事情に加え、石﨑が原告の業務の手伝いをして、月々約一〇万円の金員を受領していたこと及び昭和五七年二月に詐欺の容疑で逮捕され、原告の身元引受け等の行為により釈放された後、原告名義で借りたマンションで生活していたことなどの事情を総合すると、原告が石﨑の債務を保証し、弁済したことによって生じた求償権は、原告の貸金業者としての事業の遂行上生じた債権とはいえない。したがって、右債権についての貸倒れの問題は生じないのであるから、この点についての原告の主張は、採用できない。

(二) 石﨑に対する債権について

原告と石﨑の間では、昭和五五年五月一二日付借用書(甲一八の1)が作成されている。被告は、右貸付金債権の存在を争っているが、仮に、右債権が存在するとしても、前記(一)のとおり、原告と石﨑間で生じた債権は、業務の遂行上生じたものとはいえないのであるから、それについて貸倒れの問題は生じ得ないというべきである。

したがって、石﨑に対する債務が貸倒れにより回収不能であるとする原告の主張は、採用できない。

(三) 梅津幸三及び同静枝に対する債権について

原告が、幸三及び静枝に対し、昭和五六年一月一九日当時、貸付金元本三〇四万円、未収利息六六万五二〇〇円の合計三七〇万五二〇〇円の債権を有していたこと、右元本のうち二三四万円について静枝の親族である飯田よし外二名が連帯保証をしていたこと、原告が、昭和五七年二月七日、右飯田よし外二名を相手方として、水戸地方裁判所土浦支部に対し、保証債務の履行を求める調停の申立てをしたことは、当事者間に争いがない。

証拠(証人石﨑輝子(一回))によれば、幸三は、同五六年中に麻薬取締法違反の罪により服役したこと、静枝は、同年一〇月ころ、幸三と離婚し、松戸市内のスナックに勤め始めたものの、子供二人を抱えて苦しい生活を送っており、借入金の返済に窮していたこと、両人には、他に特に見るべき資産がないこと、前記調停の過程で、静枝から毎月五万円ずつ返済する旨の申し出と調停の取下方の要請がなされたことが認められる。

右認定の幸三及び静枝の生活状況、調停の経緯に照らせば、飯田よしらの連帯保証のない貸付金債権七〇万円については、昭和五六年に貸倒れになったものということができるが、未収利息六六万五二〇〇円については、原告において、それまでに収入金額に算入して申告をしていないので、貸倒損失として計上することはできない。

また、担保が付着している債権については、その担保について回収不能が確定するまで、貸倒れと評価することはできないところ、飯田よしらが連帯保証した二三四万円については、連帯保証人について回収不能であることの客観的裏付けがなく、右債権について回収不能であるとする原告の主張は採用できない。

したがって、幸三及び静枝に対する債権のうち七〇万円について、昭和五六年の貸倒損失として計上することができる。

(四) 谷下田松雄に対する債権について

原告が谷下田に対し、昭和五五年七月八日、一六六万円を貸し付けたことは、当事者間に争いがない。

証拠(乙五四、証人石﨑輝子(一、二回))によれば、谷下田は、塗装業を営んでいたものであり、確定申告における昭和五六年分の収入金額が五九四万二〇〇〇円、所得金額が一〇九万五〇〇〇円、同五七年分の収入金額が六二万円、所得金額が三九万円、同五八年分及び同五九年分が無申告であること、原告は、谷下田に対し、四通の手形を担保に取って貸し付けを行ったが、同五五年八月下旬には、最初に支払い期日が到来した手形が、資金不足で不渡りになったこと、原告が貸付後に谷下田と会った際には、谷下田は身体障害者で仕事ができないような状態であったこと、谷下田には特に見るべき資産がないことが認められる。

右認定における谷下田の資産・収入状況、身体の状況に照らせば、昭和五七年中に谷下田から債権を回収することが事実上不可能になったことが客観的に明らかになったものといえ、同人に対する貸付金債権は、同年における貸倒損失に計上すべきである。

原告は、谷下田が職業病で仕事ができない状態であり、何らの資産もないことから、同五五年中に、同人に対する債権を放棄したと主張する。たしかに前記認定によれば、昭和五五年に谷下田の振り出した手形が不渡りになっているものの、同五六年には、約五九四万円の収入があることから、仮に原告の債権放棄の意思表示が認められるとしても、右の意思表示は、債務者の債務超過の状態が相当長期間継続して債権の弁済を受けることが困難である状態のもとでなされたということはできないのであり、原告の右主張は採用できない。しかし、前記のとおり、その後の同人の収入状況等を総合して判断すると、同五七年中には、回収不能の状態が客観的に明らかになったというべきである。

(五) 湯沢金次郎に対する債権について

原告が、湯沢に対し、昭和五四年一二月二五日、一二〇万円を貸し付けたことは当事者間に争いがない。

原告は、湯沢が貸付直後から行方不明となり、回収不能となったと主張し、証人石﨑輝子及び原告本人は、同趣旨の供述をする。しかし、債権が事実上回収不能になったといえるためには、単に債務者の所在が把握できなくなったというだけでは足りず、行方不明の事実が相当期間継続した状態のもとで、債務者の資産状況等の諸事情を考慮して、回収の見込みがなくなったことが客観的に明らかである必要があるところ、前記各供述には、何ら客観的裏付がなく、直ちに信用することはできない。証拠(乙七三)によれば、湯沢は、昭和四二年から同五八年八月までの間、連帯借用証書記載の千葉県鎌ケ谷市内の住所地に住民登録をしていたこと、同五八年八月ころ、同市軽井沢に転居したことが認められ、右認定事実及び湯沢の資産状況等について何ら明らかでないことを考え合わせると、湯沢に対する貸付金の回収が不可能になったことが客観的に明らかとはいえない。したがって、湯沢に対する貸付金を貸倒損失に算入することはできない。

(六) 田口好夫に対する債権について

原告が田口に対し、昭和五四年三月一三日、二七〇万円を貸し付けたことは、当事者間に争いがない。

同人に関する証拠のうち、乙第六四号証の筆跡は、田口の自署と認められる甲第三号証と対比すれば、本人の筆跡でないことは明らかであるが、乙第六四号証の田口の名下の印影は、成立に争いのない乙第七号証の1及び2に使用された印影と同一のものであることから、当該印影は、本人の意思に基づいて顕出されたものと推定でき、民事訴訟法三二六条により、乙第六四号証は真正に成立したものと認められる。

証拠(乙一の6、七の1、2、六四、原告本人(一部))によれば、田口は、昭和五四年ころ、埼玉県八潮市において、実兄が経営する田口工務店の手伝いをしていたところ、自ら工務店を始めるための運転資金として原告から借り入れたこと、原告は、田口に対し、昭和五八年ころに新たに約八〇万円を貸し付けていることが認められる。

原告は、田口が、返済能力を喪失したため、昭和五五年一二月ころ、同人に対する債権を放棄した旨主張し、甲第三号証にはそれを裏付けるような記載があるとともに、証人石﨑輝子及び原告本人は、右主張に副う供述をする。しかし、田口の意思に基づいて作成されたと認められる乙第六四号証の記載内容、右認定の新たな貸付の存在等を考え合わせれば、甲第三号証の記載及び右各供述は信用することができず、他に田口が返済能力を喪失したことを裏付ける具体的・客観的証拠がないのであるから、原告の主張は採用できない。

したがって、原告の田口に対する債権を貸倒損失に計上することはできない。

(七) 伊藤勝明に対する債権について

原告が、伊藤に対し、昭和五六年八月二四日、三〇万円を貸し付けたことは、当事者間に争いがない。

原告は、伊藤が貸付直後に行方不明になり、同人に対する債権が回収不能である旨主張するが、右主張を裏付ける具体的・客観的証拠はなく、右主張は採用できない。

よって、伊藤に対する債権を貸倒損失として計上することはできない。

(八) 今井進一に対する債権について

原告が、今井に対し、昭和五六年九月七日、五〇万円を貸し付けたことは、当事者間に争いがない。

証拠(証人石﨑輝子(一回)、原告本人)によれば、今井は、貸付当時、千葉県我孫子市日秀の借家に居住し、造園業の手伝いをしていたところ、原告及び石﨑が、同年中数回にわたり返済の督促に赴いたが、一度も会うことができず、同年暮ころには、同所に居住する今井の母親からまったく帰宅しない状態である旨聞かされたこと、今井には、特にみるべき資産がないことが認められる。

右認定によれば、今井に対する債権は、事実上回収不能になったというべきである。もっとも、貸倒損失に計上すべき年分としては、今井に対する貸付金の弁済期は証拠上必ずしも明らかではないが、争いのない貸付年月日からすると、同人に対する弁済期が到来するのは、少なくとも貸付日の数か月先であるものと考えられ(原告本人の陳述書(甲三六)によれば、貸付日から二か月先であるとする。)、その弁済期を基準に考えると、昭和五六年中に回収不能になったとはいえず、同五七年に至って回収不能となったものというべきである。そして、前記二2(六)のとおり、今井については、同五六年分の利息収入として二万八六〇二円を計上しているのであるから、同五七年分の貸倒損失額は、元本に右利息額を加算した五二万八六〇二円である。

この点で、被告は、戸籍の附票(乙七四)上、所在不明であることが客観的に明らかでないと主張するが、右附票に記載された氏名は、今井「新一」であり、本件債務者である今井との同一性に疑問があるだけでなく、昭和五六年以降の住所について記載がないのであるから、本件の証拠として用いることはできない。

(九) 杉本勝之に対する債権について

原告が杉本に対し、昭和五六年一月三〇日、八〇万円を貸し付けたことは、当事者間に争いがない。

証拠(乙三、六三)によれば、杉本は、右貸付当時、茨城県取手市に居住し、昭和五七年七月に埼玉県浦和市に住民登録をするまで、取手市内で二か所転居したことが認められる。

原告は、杉本が貸付直後から行方不明となり、回収不能である旨主張し、証人岩崎輝子及び原告本人は同趣旨の供述をする。しかし、貸倒損失に計上することができるのは、原告において単に債務者の所在が把握できなくなっただけでは足りず、事実上回収不能であることが客観的に明らかであることが必要であるところ、前記認定事実に照らしても、杉本に対する債権が、回収不能であることが客観的に明らかであるとはいえない。

したがって、原告の右主張は採用できず、杉本に対する債権を貸倒損失に計上することはできない。

(一〇) 大洋建設株式会社に対する債権について

原告は、昭和五四年五月二五日、大洋建設に対し、六〇〇万円を貸し付けたと主張するので、その点を検討する。

原告主張の右貸付に関し、原告を貸主、大洋建設を借主とする昭和五四年五月二五日付金銭消費貸借契約証書及び大洋建設の原告に対する六〇〇万円の同日付領収書(甲一八の2)が作成されている。

しかし、証拠(甲三〇、乙四四、四五、四六の1、2、四七ないし五〇、証人河村清次)によれば、大洋建設の代表取締役河村清次(以下「河村」という。)は、昭和三〇年ころから、東京都豊島区東池袋二丁目四八番六号に居住し、同所において建築業を営み、同三五年に大洋建設を設立したこと、大洋建設は、その運転資金を主として八千代信用金庫から借り入れ、東京都内及び埼玉県等で住宅やビル建築工事を行ってきたが、昭和五六年ころに工事代金として受領した手形が不渡りになるなどして資金繰りに行き詰まり、事実上倒産したこと、同社は、資金繰りに行き詰まったころ、サラ金やノンバンクから資金の借り入れを行ったことはあるが、個人から借り入れたことはないこと、河村は、原告や前記昭和五四年五月二五日付金銭消費貸借契約証書に立会人として記載されている中村長一郎とは面識がないこと、右契約証書及び領収書に使用されている社判、代表者印、記名判などが大洋建設で使用されていたものと異なることが認められ、右認定事実に照らせば、前記契約証書及び領収書の記載は信用できない。

したがって、原告が大洋建設に貸し付けたとする六〇〇万円の貸付金債権の存在そのものが認められないのであるから、それを貸倒損失に計上することもできない。

(一一) 大一物産株式会社に対する債権について

原告は、昭和五六年二月二六日、大一物産に対し、五四四万円を貸し付けたと主張するので、その点を検討する。

原告の右主張に関連して、原告が大一物産に対して昭和五五年二月二六日貸し付けた四〇〇万円に利息を加えた額として五四四万円について、同五六年二月二五日付連帯借用証書(甲一八の3)が作成され、原告は、昭和五五年二月二五日、佐々木良雄に貸し付けた四〇〇万円を大一物産に肩代わりしてもらうことになり、右証書を作成したと供述する。

しかし、原告が昭和五五年二月二五日、佐々木良雄に対して四〇〇万円を貸し付けたこと及び右佐々木と大一物産とが何らかの関連を有していたことを裏付ける客観的な証拠はない。右連帯借用証書(甲一八の3)には「昭和五五年二月二六日一金四〇〇万円也を正に借用しました。」との記載がなされているが、仮に、右佐々木の借入金を大一物産が肩代わりするというのであれば、その旨の記載があってしかるべきであり、右のような記載は不自然である。大一物産の代表者今野登が、関東信越国税局長宛に、前記借用証書の作成及び貸借関係を否定する「申述書」と題する文書(乙五六)を作成して提出している事実等に照らせば、右原告の供述及び連帯借用証書は信用できない。

したがって、原告が大一物産に貸し付けたとする五四四万円の債権の存在そのものが認められないのであるから、それを貸倒損失に計上することもできない。

(一二) 吉田征夫及び同とみいに対する債権について

原告が、征夫及びとみいに対し、昭和五五年四月一〇日の時点で、合計一三四五万円の貸付金債権を有していたことは、当事者間に争いがない。

証拠(甲三五の1、2、乙一一の1、証人吉田とみい)によれば、原告は、征夫に対し、昭和五三年三月二三日、七〇〇万円を貸し付け、同人所有の牛久市久野町字久野一七五番地の自宅及びその敷地に第三順位の抵当権を設定し、同五五年四月一〇日、六四五万円を貸し付け、右いずれについても、とみいが連帯保証したこと、同年四月一〇日付で作成された連帯借用証書(乙八)は、右二つの貸付金債権を一つにまとめたものであること、征夫は、茨城県稲敷郡牛久町(現茨城県牛久市)において吉田建築の屋号で建築業を営み、昭和五三年当時、約一〇名の大工を雇って注文住宅等を建築していたこと、征夫は、肝臓を患い、身体の具合が次第に悪化するに伴い、営業の規模も縮小し、昭和五五、六年ころには、雇っていた大工も数人に減少したこと、征夫は、昭和五七年四月一日、常陽銀行戸頭支店の原告普通預金口座に五万円を振り込んでいること、征夫所有の前記土地建物につき、昭和五九年一月一九日に競売開始決定がなされ、同年八月一〇日に売却されたが、そのときまで原告が設定を受けた抵当権設定登記が抹消されずに残っていたことが認められる。

原告は、昭和五六年一一月二五日、征夫及びとみいに対する債権全額を放棄したと主張し、甲四には右主張に副う記載があるとともに、証人吉田とみいは債権放棄をしてもらった際に、抵当権設定をした不動産の権利証、印鑑証明書等を返却してもらった旨の証言をし、原告も同趣旨の供述をする。しかし、債権放棄及び抵当権抹消関係書類の返却を裏付ける客観的証拠はなく、前記認定の昭和五七年に五万円が原告口座に振り込まれている事実及び原告が設定を受けた抵当権が同五九年まで残存していた事実に照らせば、右証言及び供述は、直ちには信用できない。債権に担保が付着している場合、その担保の実行によっても回収不能であることが明らかにならなければ貸倒れとはいえないところ、前記認定の征夫及びとみいの生活状況、抵当権の帰すう等を考えると、原告の右両名に対する債権は、昭和五九年に至って回収不能になったとはいえるが、原告主張のように、同五六年中に回収不能になったということはできず、原告の主張は採用できない。

(一三) 菅野次郎に対する債権について

原告は、昭和五四年一一月三〇日、菅野に対し、二〇〇万円を貸し付けた旨主張するので、その点を検討する。

右貸付に関しては、原告と菅野間の同日付連帯借用証書(甲一八の4)が作成されているとともに、証人石﨑輝子及び原告本人は、右主張に副う供述をする。

しかし、証拠(甲一八の4、乙五五、証人石﨑輝子、原告本人)によれば、菅野は、原告の知人である小川吾郎により紹介されたものであるが、原告が貸し付けたと主張する時点においては、住所等の身元確認を何ら行っていないこと、右連帯借用証書には、当初印紙が貼付されておらず、貸付日から約一、二年後に貼付されたものであること、原告は、貸付後、二回ほど菅野に会っているが、その際も身元の確認をとることができなかったことが認められる。右認定のように、たとえ知人の紹介であっても、住所など身元確認をしないで二〇〇万円を貸し付けるということは、原告のような金融業者にとって、通常考えられることではなく、その後の原告の対応を考えても、原告が菅野に対して実際に貸付を行ったといえるかは、極めて疑問であり、原告の菅野に対する貸付金債権の存在は、認めがたい。

したがって、原告が菅野に貸し付けたとする二〇〇万円の債権の存在そのものが認められないのであるから、それを貸倒損失に計上することもできない。

(一四) 小沼隆三に対する債権について

原告が、小沼に対し、昭和五五年一〇月七日、二〇〇万円を貸し付けたことは、当事者間に争いがない。

証拠(甲二七、乙三九、四〇、四三、証人須山勝利)によれば、小沼は、昭和五五年ころから、東京都千代田区神田美土代町所在の木原四郎弁護士の法律事務所に勤務し、同弁護士の指示のもとに、同弁護士が顧問をしていたミドリヤエステート株式会社(以下「ミドリヤ」という。)の関係で、株式会社西武クレジットの債権取立及びミドリヤ従業員に対する債権回収の指導業務を行っていたこと、ミドリヤは、同五六年一〇月から同五九年四月まで、小沼に対し、毎月約三六万円の指導料を、同人の横浜銀行渋谷支店の普通預金口座に振り込んでいたこと、小沼は、昭和五九年ころ、取立てた債権の一部を着服し、ミドリヤに対して合計三〇〇万円以上の損害を与え、同年春ころ、突然行方不明となり、以後消息がつかめなくなったことが認められる。

右認定によれば、小沼に対する債権については、昭和五九年に事実上回収不能になったとはいえるが、原告が主張するように、同五五年に回収不能となったと認めることはできず、同年の貸倒損失に計上することはできない。

(一五) 星野政一に対する債権について

原告は、星野に対し、昭和五七年四月三〇日、三〇〇万円を貸し付けた旨主張するので、その点を検討する。

証拠(甲一八の5、一九、二〇、乙五七、原告本人)によれば、星野は、昭和五七年四月ころ、田口の兄が経営する田口工務店に勤務していたこと、原告と星野間で、昭和五七年四月三〇日付で、三〇〇万円を貸し付けた旨の連帯借用証書(甲一八の5)が作成されたこと、右連帯借用証書作成の際、原告は、星野の身元を確認するために、同人の期限切れの運転免許証(甲一九)を預かったこと、星野は、同年一一月ころ、勤務していた田口工務店を辞め、それまで他人名義で借りてもらっていたアパートについて、自己名義で借り直した上で、数か月分の家賃を前払いしたが、同所に住民登録をしなかったこと、同人は、右アパートに数日間居住しただけで、その後は旅行へ行くと言って外出したきり帰宅しなかったこと、星野は、昭和五八年一一月二一日福岡市において死亡したことが認められる。

右認定によれば、原告は、星野に対し、昭和五七年四月三〇日、三〇〇万円を貸し付けたというべきである。

原告は、右星野に対する貸付金債権について、昭和五七年中に同人が行方不明になったことから、回収不能になった旨主張する。しかし、法律上存在する債権について回収不能であるというためには、債務者について単に行方が判明しなかっただけでなく、ある程度行方不明の状態が継続し、四囲の事情に照らして回収不能であることが客観的に明らかであることが要求されるべきところ、前記認定のとおり、星野は、昭和五七年一一月に、数か月分の家賃を前払いして、自己名義でアパートを借りており、右事実と同人が同五八年一一月に死亡したという事実を併せて考えると、原告の同人に対する債権は、同五八年に至って回収不能であることが客観的に明らかになったというべきであり、原告主張のように、同五七年中に回収不能になったということはできない。したがって、星野についての原告の主張は採用できない。

3  以上のように、別表5のうち、貸倒れと認められるものは、別表8「貸倒損失額」認定額欄記載のとおりである。

四  本件土地取引の当事者及び右取引にかかる原告の収入額(争点3)

1  本件土地取引の経緯に関する認定事実

原告が日興建設に対し、昭和五七年三月三〇日、四〇〇万円を貸し付けたことは、当事者間に争いがない。

争いない事実及び証拠(甲二六、乙一一の2、3、一二、一三の1、2、一四の1ないし3、一五ないし一七、二五、二六、三〇、三一、三二の1ないし4、三三ないし三六、七六の1ないし4、七七の1、2、七九の1ないし8、七九の9の1、2、八〇、八三、八五ないし八七、証人青木忠士、同山名孝二(一部)、同岩崎輝子(一、二回、いずれも一部)、原告本人(一部))を総合すると、次の事実を認めることができる。右認定に反する証拠は採用できない。

(一) 原告は、満に対し、昭和五四年ころから貸付を行うようになり、友春及び柴沼が、満の債務の保証人となっていた、満は、原告からの借り入れた資金を、自分が副業として行っていた飲食業の運転資金及び他の債権者に対する返済資金に充てていたところ、昭和五七年ころには、原告からの借入金が多額に上ることとなった。そのため、満の父親である友春は、昭和五七年五月ころ、満の原告に対する債務を、自己所有地を売却して清算することとし、原告に土地譲渡及び譲渡代金による債務の清算を依頼した。原告の満に対する貸付金については、同年七月一七日付で一二五二万七九〇〇円、同年八月五日付で一四三万円、同年九月一八日付で四三〇万円とする連帯借用証書が、満及び友春の連名で作成された。

原告は、友春所有地が市街化調整区域内にあって売却することが困難であったため、昭和五七年七月一〇日、満の保証人であった柴沼所有の本件土地と交換の上、売却することとし、同年一〇月一日、友春及び満から右土地売買に関する一切の手続を委任する旨の委任状を受領した。

原告は、同年夏ころ、日興建設の代理人として、本件土地売却の仲介を昭和緑地に依頼したところ、昭和緑地の代表取締役廣瀬昭雄(以下「廣瀬」という。)が、土地を探していた中常を紹介した。廣瀬は、本件土地が柴沼の所有名義になっていたため、柴沼及び友春と面会し、譲渡意思を確認した上、中常が譲り受けることを斡旋した。

友春と日興建設間で、売買代金を二九〇七万円とする一〇月一五日付契約書(乙一七)が作成され、右契約書には、手付金として七〇〇万円を支払う旨の約定が記載されているが、右作成日には、友春と日興建設間で、金銭に関する動きはなかった。

(二) 原告、中常に従業員、石﨑及び廣瀬ら関係者は、昭和五七年一一月二日、中常の事務所に集り、本件土地売買契約の手続を行った。その際、日興建設と中常間で、売買代金を三八六四万円とする一一月二日付契約書(乙七六の1)が作成され、中常は、原告に対して、右契約の手付金として七〇〇万円の小切手を交付した。右契約の席には、日興建設の代表取締役であった山名は出席せず、原告が日興建設の記名判、代表者印等を持参して、契約書に押捺した。

原告は、同月五日、常陽銀行土浦駅前支店で友春名義の普通預金総合口座(以下「本件口座」という。)を開設し、その届出印鑑及び通帳を保管するとともに、同日、右口座に中常に振り出した小切手を入金した。また、原告は、同月一二日、本件口座から五七三万円を払い戻し、友春名義で、原告の常陽銀行戸頭支店の原告口座に同額を振り込んだ。

(三) 中常との間の売買残代金の決済は、同年一二月二〇日に行われた。右当日、原告、石﨑、廣瀬、中常の従業員ら関係者が集り、原告は、中常に対して本件土地の権利証、柴沼の印鑑証明書等関係書類を交付し、中常から、残代金に相当する額面三一六四万円の小切手を受領した。原告は、その際、原告が持参した日興建設の記名判及び代表者印を用いて領収書(乙七六の3)を作成した。

原告は、受領した右小切手を現金化し、同日、昭和緑地に対し、仲介手数料として六〇万円を支払い、同月二一日、友春名義で、原告口座に一二五二万七九〇〇円及び九一万四八九一円振り込むとともに、霜多義夫の名義を使用して、原告口座に五〇〇万円を振り込んだ。さらに、原告は、同月二四日、常陽銀行戸頭支店に、友春名義で五〇〇万円の通知預金を設定した。

原告は、同月下旬、手数料として、小野村司法書士に六〇万円。石﨑に三〇万円を支払った。

友春、満及び柴沼は、本件土地売却手続の一切を原告に委ねたため、山名とは面識はなく、仲介した廣瀬も、売却手続を通じて山名に会ったことはない。また、山名も、本件土地売却手続に実質的に関与したことはなく、原告がすべての手続を行っていた。

(四) 原告は、山名と、昭和五六年ころ、中山せきの土地取引を通じて知り合い、日興建設に対し、同年末ころ、五三〇万円を融資するなどの関係があった。

日興証券は、埼玉県春日部市谷原新田九一六番地を所在地として、昭和五五年五月六日設立された。同社は、山名を代表取締役、斎藤守宏らを取締役とし、従業員一、二名で不動産取引等を業としていた。山名は、同じビルに入居していた日本そば店「大むら」の経営者青木忠士(以下「青木」という。)と知り合い、同人が不動産取引に関心があり、地元の事情にも明るかったために、日興建設の取引を手伝ってもらっていた。ところが、山名は、同五六年暮ころから、青木との間で金銭的なトラブルが生じるとともに、日興建設自体も経営的行き詰まってきたため、同五七年二月ころ事務所を閉鎖した。事務所閉鎖後、日興建設の社判、代表者印等は、山名が保管し、しばらくの間残務整理を行っていたが、同年五月二八日、埼玉県に対して廃業届を提出し、同日付で宅地建物取引業免許が失効した。山名は、斎藤守弘とともに、同年四月二二日、千葉県我孫子市我孫子に土木建築設計、不動産売買、仲介等を業とする有限会社三東住宅を設立し、同社の取締役となった。

2  本件土地取引の当事者について

以上の認定事実を前提として、本件土地売買契約の当事者が誰かを検討する。

右認定のように、日興建設は、昭和五七年二月ころに事務所を閉鎖し、同年五月には、宅地建物取引業の免許も失効するなどしており、それ以降は、若干の残務整理が行われていたとしても、株式会社としての実体は、消滅していたというべきである。本件土地取引には、このような実体のない日興建設が当事者として現われてきているが、右売買の売主側の手続及び中常から受領した代金の処理はすべて原告が行っており、日興建設の代表取締役であって山名が関与したことはなく、日興建設の資金が動いた形跡はない。右のような昭和五七年当時の日興建設の実体、本件土地取引の経緯に照らせば、日興建設は、甲乙両契約書に当事者として記載はされているが、右取引の実質的な当事者は、友春及び中常というべきである

原告は、日興建設に対する債権を回収するために、友春の了解を得た上で、日興建設を本件土地取引に関与させたものである旨主張する。たしかに、原告は、日興建設に対して貸付金債権を有していたものであるが、本件土地の昭和五七年当時の客観的価値が中常の購入価格である三八六四万円とすれば、右価格から満及び友春に対する債権額を控除した差額は、本来友春が取得すべきものである。それにもかかわらず、友春が、その差額を日興建設の債権の返済資金として使用することを許諾するとすれば、友春と日興建設が密接な関係にあるなど、両者の間に何らかの特殊事情が存するのが通常である。しかし、本件では、友春と日興建設とは、無関係であり、右のような事情は存在しないのであり、友春としても、売買の差額を日興建設の債権の返済資金として使用することまで認識した上で、原告にすべての手続を委ねたとも認めがたい。このような点を考慮し、前記のような日興建設の実体、本件土地取引の経緯に照らせば、原告の主張は採用できない。

3  本件土地取引に関して原告が取得した利益について

右2で説示したとおり、本件土地取引の当事者は、友春及び中常というべきである。したがって、中常の購入代金である三八六四万円から、友春及び満に対する債権額及び本来友春が負担すべき本件土地取引に関する手続費用等の経費を控除した上で原告が取得したと認められる金員は、本件土地取引に関して、原告が取得した謝礼金としての性質を有するものである。本件土地取引は、原告が友春および満に対する債権回収の手段として行われたものであるから、原告の事業遂行の過程において生じたものといえ、右謝礼金相当額は、本件土地取引が行われた昭和五七年分の事業所得に計上すべきものである。以下、その具体的金額を検討する。

(一) 本件売買代金の中から、次の金額を控除すべきことは、当事者間に争いがない。

(1) 借入金の返済 一八二五万七九〇〇円

(2) 右利息 九一万四八九一円

(3) 昭和緑地仲介手数料 六〇万円

(4) 司法書士手数料 六〇万円

(5) 耕作者への補償料 四〇万円

(6) 税理士報酬 一〇万円

(7) 土地改良区に対する支払 五万三三〇〇円

(8) 譲渡所得税 一六三万九四〇〇円

(9) 市民税のうち 四九万〇三八〇円

合計 二三〇五万五八七一円

(二) 原告は、右(一)のほかに、謝礼金として〈1〉岡田政枝に一〇〇万円、〈2〉石﨑に三〇万円、〈3〉柴沼に一五〇万円、〈4〉栗原静に五〇万円、〈5〉市民税分として六三万一二〇〇円(一部については、前記(一)(9)のとおり争いがない。)、〈6〉友春に普通預金預け入れ分一二七万円及び現金二〇〇万円を支払ったのであるから、それを控除すべきであると主張するので、検討する。

(1) 右〈1〉〈3〉〈4〉については、証人石﨑輝子は、売買残金の清算の際に支払った旨証言する。しかし、本件土地取引に関して金銭の受領を否定する旨の聴取書(乙七七の1)及び申述書(乙八三)に照らせば、右証言は信用することはできず、また、〈4〉については、支払ったことを裏付ける客観的証拠がないのであるから、右〈1〉〈3〉〈4〉を費用として認めることはできない。

(2) 〈2〉については、証人石﨑輝子の証言により、本件売買残代金の精算の際、原告から石﨑に交付されたことが認められる。本件売買手続を行ってきたのは原告であるところ、石﨑は、原告の業務を手伝っていたものであり、本件土地取引についても、それなりの事務処理を行っていたといえるのであるから、石﨑に交付された三〇万円は、本件土地取引の費用として控除するのが相当である。

(3) 〈5〉の争いのある一四万〇八二〇円の市民税分については、証拠(乙二五、弁論の全趣旨)によれば、友春が負担したことを認めることができ、費用として控除すべきである。

(4) 〈6〉のうち、二〇〇万円については、それが支払われたことを認めるに足りる証拠はない。

残りの一二七万円は、本件土地売買の手付金七〇〇万円から原告口座に振り込まれた五七三万円を控除した残金であるが、証拠(乙一二)によれば、本件口座に手付金七〇〇万円が振り込まれ、原告口座に送金された五七三万円の残金一二七万円については、昭和五七年一一月一二日以降、数回に渡って引出され、同五八年三月の時点では、三三七三円しか残っていなかったことが認められる。

前記1で認定したとおり、本件口座は、原告が友春名義で開設したものであり、その通帳及び届出印鑑は原告が保管していたものであるから、右認定の昭和五七年一一月から同五八年三月までに引き出された金員は、原告が取得したというべきである。

したがって、〈6〉については、いずれも控除すべき費用とは認められない。

なお、原告は、日興建設に対する貸付金相当額等を控除すべきであると主張するが、前記2で説示したとおり、日興建設が、本件売買取引に関与したとは認められず、また本件売買に関して金銭を受領したことも認められないのであるから、右主張は失当である。

(三) 以上を総合すると、控除することに争いのない(一)の二三〇五万五八七一円に、(二)で認めた三〇万円(〈2〉)及び〈5〉のうちの一四万〇八二〇円を加えた二三四九万六六九一円を本件売買代金である三八六四万円から控除した一五一四万三三〇九円を原告の昭和五七年分の収入として計上すべきことになる。

五  本件各係争年分の総所得金額について

右二ないし四で検討した本件各係争年分の原告の利息収入、貸倒損失及び本件土地取引にかかる原告の収入を前提として、本件各係争年分の事業所得金額を計算すると、別票9-1ないし3「本件各係争年分の事業所得金額等(認定)」の各事業所得金額欄記載のとおりである。

六  本件各係争年分の所得税の更正の適法性

右認定の原告の事業所得金額は、本件各係争年分のいずれにおいても、本件各更正処分の基礎となった事業所得金額(いずれも審査裁決により一部取り消された後のもの)を上回るのであるから、本件各更正処分は適法である。

七  本件各係争年分の過少申告加算税賦課決定処分の適法性

前記五で認定した原告の事業所得金額を前提とすると、原告は、本件各係争年分にかかる事業所得の金額をいずれも過少に申告していたというべきであるところ、右過少申告部分は、本件各過少申告加算税賦課決定処分(いずれも審査裁決により一部取り消された後のもの)における過少申告部分を上回るから、それを基礎として算定された本件各過少申告加算税賦課決定処分は適法である。

八  昭和五七年分の重加算税賦課決定処分の適法性

前記四で認定説示したとおり、原告は、友春及び満から債権を回収するにあたり、友春所有地を売却して謝礼金を受領したもので、右謝礼金相当額は、原告の事業所得に計上すべきところ、原告は、日興建設が中間譲渡人であるかのように事実を仮装して謝礼金の額を圧縮した。

このことは、国税通則法六八条一項(昭和五九年法律第五号による改正前のもの)に規定する国税の課税標準等の計算の基礎となるべき事実の一部を隠蔽し又は仮装したことに該当するというべきである。そして、隠蔽又は仮装の結果、原告が取得した金額一五一四万三三〇九円は、本件重加算税賦課決定処分(審査裁決により一部取り消された後のもの)の基礎となった取得金額(本件土地取引による取得金額)を上回るから、それをもとに計算された本件重加算税賦課決定処分は適法である。

九  結論

以上のとおり、原告の本訴請求は、いずれも理由がない。

(裁判長裁判官 來本笑子 裁判官 松本光一郎 裁判官 坪井昌造)

別表1の1

昭和55年分

〈省略〉

別表1の2

昭和56年分

〈省略〉

別表1の3

昭和57年分

〈省略〉

別表2-1

【昭和55年分の事業所得金額等(被告の主張)】

〈省略〉

別表2-2

【昭和56年分の事業所得金額等(被告の主張)】

〈省略〉

別表2-3

【昭和57年分の事業所得金額等(被告の主張)】

〈省略〉

※1(3)の雑収入額の内訳

〈省略〉

別表3

〈省略〉

別表3

〈省略〉

別表3

1 順号1ないし18、32は貸付メモ、借用証書等に記載されていた利息金額及び同書類に記載されていた貸付金額、約定利率から計算をした利息金額である。

2 順号19ないし31も上記書類に記載された貸付金額より計算をしているが、未収利息については約定利率にならず利息制限法1条1項の最高利率により計算した。

3 順号33ないし42は銀行及び貸付先の調査等により確認した金額である。

4 別段の約定のない返済期限経過後の遅延損害金は利息制限法第1条第1項の最高利率と同率により計算した。

5 網かけ部分は争いのある貸付先及び利息収入の額である。

付表1-1

〈省略〉

付表1-2

〈省略〉

付表1-3

〈省略〉

付表1-4

〈省略〉

付表1-5

〈省略〉

付表1-6

〈省略〉

付表2

〈省略〉

別表4

〈省略〉

別表4(付表1)

昭和55年分の所得税額及び過少申告加算税額の計算過程説明書

1 所得税額の計算

(1) 課税総所得金額に対する税額の計算

事業所得の金額(別表〈1〉の金額) 所得控除額(別表〈4〉の金額) 課税総所得金額(別表〈5〉の金額)

547,913円-877,515円=0(△329,602円…〈1〉)

総所得金額から引き切れなかった所得控除額

したがって、課税総所得金額に対する税額は0円……〈2〉

(2) 課税短期譲渡所得金額に対する税額の計算

次のイ又はロの金額のうちいずれか多い金額

イ 57改正前措置法32条1項1号の金額の計算

課税短期譲渡所得金額(別表〈7〉の金額)

15,384,000円×40%=6,153,600円……〈3〉

ロ 57改正前措置法32条1項2号の金額の計算

課税短期譲渡所得金額(別表〈7〉の金額) 譲渡所得の特別控除額 課税総所得金額(別表〈5〉の金額)

15,384,000円-500,000円+0円=14,884,000円…〈4〉

〈4〉の金額 所得税の速算表 課税総所得金額に対する税額〈2〉

(14,884,000円×46%-2,140,000円-0円)×110%=5,177,304円………〈5〉

〈3〉の金額>〈5〉の金額 したがって課税短期譲渡所得金額に対する税額は 6,153,600円

(3) 土地等に係る課税雑所得の金額に対する税額の計算

土地等に係る雑所得の金額(別表〈2〉) 総所得金額から引き切れなかった所得控除額〈1〉 土地等に係る課税雑所得の金額(別表〈6〉の金額)

6,750,000円-329,602円=6,420,000円 通則法118条1項により千円未満の端数切捨て

次のイ又はロの金額のうちいずれか多い金額

イ 57改正前措置法28条の4・1項1号の金額の計算

土地等に係る課税雑所得の金額(別表〈6〉の金額)

6,420,000円×40%=2,568,000円…………〈6〉

ロ 57改正前措置法28条の4・1項2号の金額の計算

土地等に係る課税雑所得の金額(別表〈6〉の金額) 課税短期譲渡所得金額(別表〈7〉の金額) 譲渡所得の特別控除額 課税総所得金額(別表〈5〉の金額)

6,420,000円+15,384,000円-500,000円+0円=21,304,000円…〈7〉

〈7〉の金額 所得税の速算表

21,304,000円×55%-3,740,000円=7,977,200円……〈8〉

課税短期譲渡所得金額(別表〈7〉の金額) 譲渡所得の特別控除額 課税総所得金額(別表〈5〉の金額)

15,384,000円-500,000円+0円=14,884,000円……〈9〉

〈9〉の金額 所得税の速算表

14,884,000円×46%-2,140,000円=4,706,640円……〈10〉

〈8〉の金額 〈10〉の金額

(7,977,200円-4,706,640円)×110%=3,597,616円……〈11〉

〈6〉の金額<〈11〉の金額 したがって土地等に係る課税雑所得の金額に対する税額は3,597,616円

(4) 所得税額(=納付すべき税額)の計算

課税総所得金額に対する税額〈2〉 課税短期譲渡所得金額に対する税額〈3〉 土地等に係る課税雑所得の金額に対する税額〈11〉 納付すべき税額(別表〈8〉の金額)

0円+6,153,600円+3,597,616円=9,751,200円

通則法119条1項により100円未満の端数切捨て

2 過少申告加算税額の計算

納付すべき税額(別表〈8〉の金額) 確定申告による納付税額(別表〈9〉の金額) 過少申告加算税計算の基礎となる税額に対する税額通則法118条3項により1万円未満切り捨て

9,751,200円-0円=9,750,000円

過少申告加算税計算の基礎となる税額 過少申告加算税の率 過少申告加算税額(別表〈12〉の金額)

9,750,000円×5%=487,500円

改正前通則法65条1項

別表4(付表2)

昭和56年分の所得税額及び過少申告加算税額の計算過程説明書

1 所得米額の計算

(1) 課税総所得金額に対する税額の計算

事業所得の金額(別表〈1〉の金額) 所得控除額(別表〈4〉の金額) 課税総所得金額(別表〈5〉の金額)

3,735,701円-838,640円=2,897,000円通則法118条1項より千円未満の端数切捨て

課税総所得金額(別表〈5〉の金額) 所得税の速算表 課税総所得金額に対する税額

2,897,000円×18%-120,000円=401,460円………〈1〉

(2) 課税短期譲渡所得金額に対する税額の計算

次のイ又はロの金額のうちいずれか多い金額

イ 57改正前措置法32条1項1号の金額の計算

課税短期譲渡所得金額(別表紙〈7〉の金額)

48,176,000円×40%=19,270,400円……〈2〉

ロ 57改正前措置法32条12項1号の金額の計算

課税短期譲渡所得金額(別表〈7〉の金額) 譲渡所得の特別控除額 課税総所得金額(別表〈5〉の金額)

48,176,000円-500,000円+2,897,000円=50,573,000円……〈3〉

〈3〉の金額 所得税の速算表 課税総所得金額に対する税額〈1〉

(50,573,000円×65%-7,240,000円-401,460円)×110%=27,754,089円……〈4〉

〈2〉の金額 < 〈4〉の金額 したがって課税短期譲渡所得金額に対する税額は、27,754,089円

(3) 所得税額(=納付すべき税額の計算)

課税総所得金額に対する税額〈1〉 課税短期譲渡所得金額に対する税額〈4〉 納付すべき税額(別表〈8〉の金額)

401,460円+27,754,089円=28,155,500円 通則法119条1項により百円未満の端数切捨て

2 過少申告加算税額の計算

納付すべき税額(別表〈8〉の金額) 確定申告による納付税額(別表〈9〉の金額) 過少申告加算税計算の基礎となる税額(別表〈11〉の金額通則法118条3項により1万円未満の端数切捨て

28,155,500円-0円=28,150,000円

過少申告加算税計算の基礎となる税額(別表〈11〉の金額) 過少申告加算税の率 過少申告加算税額(別表〈12〉の金額)

28,150,000円×5%=1,407,500円(別表〈12〉の金額)

改正前通則法65条1項

別表4(付表3)

昭和57年分の所得税額、重加算税額及び過少申告加算税額の計算過程説明書

1 所得税額の計算

(1) 課税総所得金額に対する税額の計算

事業所得の金額(別表〈1〉の金額) 所得控除額(別表〈4〉の金額) 課税総所得金額(別表〈5〉の金額)

29,107,990円-975,480円=28,132,000円 通則法118条1項により千円未満の端数切捨て

課税総所得金額(別表〈5〉の金額) 所得税の速算表 課税総所得金額に対する税額

28,132,000円×55%-3,740,000円=11,732,600円……〈1〉

(2) 課税短期譲渡所得金額に対する税額の計算

次のイ又はロの金額のうちいずれか多い金額

イ 62改正前措置法32条1項1号の金額の計算

課税短期譲渡所得金額(別表〈7〉の金額)

23,914,000円×40%=9,565,600円……〈2〉

ロ 62改正前措置法32条1項2号の金額の計算

課税短期譲渡所得金額(別表〈7〉の金額) 譲渡所得の特別控除額 課税総所得金額(別表〈5〉の金額)

23,914,000円-500,000円+28,132,000円=51,546,000円……〈3〉

〈3〉の金額 所得税の速算表 課税総所得金額に対する税額〈1〉

(51,546,000円×65%-7,240,000円-11,732,600円)×110%=15,985,530円……〈4〉

〈2〉の金額 < 〈4〉の金額 したがって課税短期譲渡所得金額に対する税額は、15,985,530円

(3) 所得税額(=納付すべき税額)の計算

課税総所得金額に対する税額〈1〉 課税短期譲渡所得金額に対する税額〈4〉 納付すべき税額(別表〈8〉の金額)

11,732,600円+15,985,530円=27,718,100円 通則法119条1項により百円未満の端数切捨て

2 重加算税の計算

(1) 改正前通則法68条1項括弧書に規定する「隠ぺい又は仮装されていない事実に基づく税額として政令で定めるところにより計算した金額」の計算

イ 被告が主張する増差所得金額 53,920,726円

〈1〉 重加算税対象分の増差所得金額 15,584,129円……被告準備書面(六)第一の三の1の(三)

〈2〉 過少申告加算税対象分の増差所得金額 38,336,597円

内訳 貸倒損失の損金不算入額 20,640,000円

利息収入額のうち計上漏れ分 16,496,597円

雑収入額 1,200,000円

ロ 納付すべき税額のうち、隠ぺい又は仮装されていない部分の税額の計算

〈1〉 課税総所得金額に対する税額の計算

確定申告による事業所得の金額 前記イ〈2〉の金額 所得控除額(別表〈4〉の金額)

△24,812,736円+38,336,597-975,480円=12,548,000円……〈5〉

通則法118条1項により千円未満の端数切捨て

〈5〉の金額 所得税の速算表

12,548,000円×46%-2,140,000円=3,632,080円……〈6〉

〈2〉 課税短期譲渡所得金額に対する税額の計算

次の(イ)又は(ロ)のうちいずれか多い金額

(イ) 62改正前措置法32条1項1号の金額の計算

課税短期譲渡所得金額(別表〈7〉の金額)

23,914,000円×40%=9,565,600円……〈7〉

(ロ) 62改正前措置法32条1項2号の金額の計算

課税短期譲渡所得金額

(別表〈7〉の金額) 譲渡所得の特別控除額 〈5〉の金額

23,914,000円-500,000円+12,548,000円=35,962,000円………〈8〉

〈8〉の金額 所得税の速算表 〈6〉の金額

(35,962,000円×60%-5,240,000円-3,632,080円)×110%=13,975,632…〈9〉

〈7〉の金額 < 〈9〉の金額 したがって課税短期譲渡所得金額に対する税額は、13,975,632円

〈3〉 所得税額の計算

〈6〉の金額 〈9〉の金額

3,632,080円+13,975,632円=17,607,700円……〈10〉

通則法119条1項により百円未満の端数切捨て

(2) 重加算税計算の基礎となる税額

納付すべき税額(別表〈8〉の金額) 隠ぺい又は仮装されていない部分の税額〈10〉 重加算税計算の基礎となる税額(別表〈13〉の金額)

27,718,100-17,607,700円=10,110,000円

通則法118条3項により1万円未満の端数切捨て

(3) 重加算税

重加算税計算の基礎となる税額(別表〈13〉の金額) 重加算税の率 重加算税額(別表〈14〉の金額)

10,110,000円×30%=3,033,000円

改正前通則法68条1項

3 過少申告加算税額の計算

隠ぺい又は仮装されていない部分の税額〈10〉 確定申告による納付税額(別表〈9〉の金額) 過少申告加算税計算の基礎となる税額(別表〈11〉の金額)

17,607,700円-0円=17,600,000円

通則法118条3項により1万円未満の端数切捨て

過少申告加算税計算の基礎

となる税額(別表〈11〉の金額) 過少申告加算税の率 過少申告加算税額(別表〈12〉の金額)

17,600,000円×5%=880,000円

改正前通則法65条1項

別表5

貸倒損失の金額(原告の主張)

〈省略〉

別表6

原告の保証債務弁済額(石﨑関係)

〈省略〉

別表7

利息収入額

〈省略〉

別表8

貸倒損失額

〈省略〉

別表9-1

【昭和55年分の事業所得金額等(認定)】

〈省略〉

別表9-2

【昭和56年分の事業所得金額等(認定)】

〈省略〉

別表9-3

【昭和57年分の事業所得金額等(認定)】

〈省略〉

※1(3)の雑収入額の内訳

〈省略〉

別表10

計算表

〈省略〉

〈省略〉

〈省略〉

〈省略〉

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